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#13-講師によるスペイン語の指導方法の違い

 現在通っているスペイン語学校では1週間ごとに講師が変わるシステムなのだが、ぼくの場合はここに来て以来一貫してリカルド(彼の詳細はコチラフリーダ(彼女に関してはコチラコチラを参照)のどちらかが当てられている。割合でいうとリカルドの方がやや上という感じだが、他にも講師がいるし、ボク以外の生徒はけっこう均等に様々な講師に割り当てられているが、なぜかぼくの場合はこの2人のみに集中している。

 とはいえ、別に2人の教え方とか人間性に致命的な欠陥とかあるわけではないので別にそれでも良いのだが、やはり人が違えば授業のスタイルは変わるのはある意味当然で、この2人のスタイルはかなり対照的だった。


 リカルドの場合は支給された(というか強制的に買わされた)教科書の順番どおりに進めるやり方を重要視していて、一つ一つをある程度マスターするまでは絶対に次へは進まないし、間の項目をを飛ばすということの一切せず、全てにおいて基本に忠実というか保守的というか、文字通り教科書どおりの教えを頑なに守るタイプだった。
 

 一方フリーダは教科書は殆ど使わず、会話を重視するやり方を貫いていた。
 このページでも触れているが、彼女の基本方針というか人生観が“世の中、教科書どおりに事は運ばない”であるため、リアルな会話をさせることで日常で使う言い回しやボキャブラリーを早いうちに身に付けた方が語学力は向上するという考え方である。
 なので、適当な世間話を皮切りにいろいろなテーマで会話を促し、その都度ボキャブラリーの使い回しや品詞の活用、微妙な言葉の表現を指摘し、正しいとされるスペイン語を発音させる方法をメインとしている。
 確かに自分で発声することで“生きた言葉”を習得させる方法はアリだとは思うが、会話力を要求されるのである程度のボキャブラリーを持たない段階ではなかなか難しいのがデメリットではある。


 で、この学校では毎日宿題が出されるのだが、2人の授業方針が違うため宿題の内容も違う。

 リカルドの場合はやはり教科書重視なので結局は予習の範囲でしかなかったりした。
 要は「●●ページの例文を参考に10個くらい作れ」というような内容で、例えばその例文が「明日は雨が降るだろう」だとしたら「あさっては雪が降るだろう」とか「いずれ大統領が日本を訪問するだろう」という程度の文章を書いておけばとりあえずはOKだった。あまり宿題に時間をかける必要はなかったことを考えれば、ラクといえばラクではあった。


 フリーダの出す宿題は「一つのテーマについてのスピーチ」がメインで、ぼくに何かしらテーマを決めさせて翌日に発表させるというのがデフォルトだった。

 これがけっこう厄介で、テーマに大した縛りがない故にまずテーマそのものを決めるまで時間がかかる。
 最初のうちは面倒だったので適当にJリーグチームの本拠地と親会社を即興で話したら明らかに機嫌が悪くなり、「アンタは口を開けばサッカーのことしか話さないからサッカーの話題はダメ」と念を押されてしまったのでそれ以降は必然的にそれ以外ということになったが、それでもジャンルはさほど絞られていないのでチョイスに困るのも事実である。

 しかも、スピーチということは話す内容をある程度起承転結にまとめなければならないということでもある。
 例えば“メキシコに来て驚いたこと”をテーマにするとしたら、


 「メキシコはとても空気が汚いです。何とかして欲しいです。あと、タコスがチョーおいしいです」


 
程度の内容ではお話にならないし、“日本の歳時記”についてスピーチするとしたら単純に行事を羅列するだけではなく、


 「節分とやらの概念はわかったけど、なんで豆を年の数じゃなくて更に1つ食べると無病息災になるんだ?」



 というような疑問を想定し、納得のいくような答えも備えなければならないわけだ。

 したがって、「テーマを決める」「それについて知っていることを箇条書きでおこす」「それを簡易的でも起承転結にまとめる」「一応出される質問を想定し、わかる範囲で答えを用意しておく」「辞書を片手になるべく正確なスペイン語に訳す」という工程が必要なのでけっこう時間がかかり、睡眠時間が削られたこともざらにあった。

 まあ、授業を受ける側の適正や考え方によるのでどちらが良い悪いの問題ではないのだが、個人的には全体的にFridaのやり方の方が適していたように思う。
 確かに宿題をこなすのは厄介だったが、共通の話題もそれなりにあったことで話が弾んだことも多かったし、彼女自身がそこそこ日本に興味を持っていたこともあり、「日本ではお酒とタバコは20歳から」程度のプチ情報を教えても「ウッソー! すごーい!」と驚いてくれるので、けっこうチョロいのがありがたかったりもした。


 ……とまあ、そんな感じな授業を日々受けていたのだが、これまでにこの学校の講師間でリーダー的存在であるミゲル(彼の詳細はコチラを参照)の授業を受けたことが一度もなかった。その時々の生徒たちのスキルとか相性の問題もあるのだろうが、生徒間でのミゲルの評価は極めて高く、授業を受けたことがある者は全て口をそろえて「ミゲルの授業は素晴らしい」と絶賛していた。
 生徒仲間であるタツは、ミゲルから授業を受けている時間が最も長いこともあってか彼を師匠のように慕っているし、初期の生徒仲間であったヨシツネさん(彼の詳細はコチラを参照)に至っては慕っているどころか崇拝の域に達していて、もう一度ミゲルの授業を受けたいがためにまた日本から戻ってきたようなものだ。

 要するに、「ミゲルの授業を受けない奴は死んでしまえばいい」と言わんばかりの評価だったので一度は彼の授業を受けてみたいと思っていたさなか、念願叶ってというわけではないがこの学校に来て初めてミゲルの授業を受けることとなった。


 彼のスタイルを思い出してみると、リカルド同様教科書は使うがあくまでも用途は品詞の活用や言い回しの解説に留め、それを踏まえて一定のテーマを決め、それについて会話を進めるといった感じだった。
 また、彼の場合は今で言うトリビアを随所に散りばめ、適度なタイミングでメキシコの社会事情や一般常識、各州の歴史や文化、果てはタクシー代の値切り方といった生活に役立つ情報なんかをわかりやすく教えてくれたし、そうかと思えば日本でのそれらをスペイン語で話すよう引き出すことで日墨の文化や考え方の違いも提示してくれたりもした。言ってみれば、“リカルドとフリーダの良いとこ取り”といったところだろう。ぼくとしてもかなり興味深く取っつきやすかったことを考えれば、確かに評判どおりではあった。


 そして、彼は宿題の内容もなかなかユニークだった。
 例えば「新聞を読んで気になった記事を切り抜いて感想文を書け」という宿題を出されたことがあったのだが、単純に文章の読解力を試すのではなく、現地の新聞を読むことでリアルな社会状況を学ばせることや、記事の種類や内容を隅々まで読ませることで日本とメキシコの報道に対する考え方の違いや日本人とメキシコ人の読者の求めるポイントの違いを学ばせた。


 他には、「発音は同じだけど日本語とスペイン語で意味が異なる単語をできる限り書け」という宿題を出されたことがあった。

 これに関しても「言語そのものの面白さや興味深さ」を学ばせると同時に、辞書を隅々まで目を通させるという狙いもあった(因みに該当する単語は「manga:日本語=漫画・スペイン語:袖」「techo:日本語=手帳・スペイン語:屋根」といったところ)
 もしかしたらこの手の題目は言語に関係なくどこの教育機関も取り入れているのかもしれないが、こういう着眼点はリカルドにもフリーダにもなかっただけにかなり新鮮だった。こういうところも周囲の評価にかなり影響したのだろうと思ったものだ。


 結局彼から授業を受けた時間は後にも先にもその週だけだったので多少の物足りなさはあったが、今となってはそのくらいのボリュームで良かったと思っている。
 というのも、彼にとってぼくの存在は所謂“いじられキャラ”で、普段からとにかくぼくの一挙手一投足に対して揚げ足を取ってはその都度おちょくられたもので、授業も相変わらずそんな感じだったのだが、彼なりの愛情表現だとは理解しつつもぼくの了見は決して広くないこともあって次第にマジでうんざりしたこともしばしばあった


 そのくせ始末が悪いことに、自分がいじられるのは大嫌いなタイプでもあった。

 というのも、前に当時のクラスメイトのタツからミゲルの奥さんとの馴れ初めを聞いたことがあった。
 何でも彼の奥さんは正にこの学校に入学した日本人のようで、一目惚れしたらしいミゲルはとある日に、どこだかの池だか湖へデートに誘ったらしい。

 その際に、「水面に投げた石が向こう岸まで届いたらキスしてくれないか?」とかいう約束をして、実際に小石を投げたら見事に向こう岸まで届いたようで、約束どおりキスをゲットをしてその後本格的に交際が始まり、結婚に至ったというのだ。

 まあ、ぼくは元来ひねくれた性格なので、それを聞いた時は「安い二流の映画みたい」と思ったが、会話のネタにはなるだろうと思ったのでその詳細をそれとなく聞こうとしたら、「その話はいいだろ!」マジ怒りしやがるので、「めんどくせえ性格だな!」と常々思っていた。
 なので、こうしてマンツーマンで接するよりは休み時間に適当にサッカーの話をするとか適度にバレーボールの相手をする程度の方がベターだった気がする。


 因みに後に知ったのだが、ちょうどぼくが学校を去るか去らないかくらいに入学した日本人の生徒と日本で再会したことがあった。
 曰く、ぼくがこの学校を去ってからしばらくは事ある毎にぼくの話題をしていたらしく、よく「あいつがいなくなったらすっかり心に穴が空いた感じだな」と寂しげに嘆いたようなので、それなりに慕ってはくれていたらしい。
 そういう話を聞いた以上はぼくとしても嬉しいに決まっているので、この留学とは別の機会にメキシコを旅行した際に、その時のお礼と挨拶をすべくミゲルと連絡を取ったことがあったのだが、一度だけ電話には出てそれなりに話はしたものの、結局はお互いの時間が合わなかったために再び会うまでには至らず、それ以降は連絡が途絶えていた。

 しかし去年に、彼から10年以上ぶりにメールが来た。
 しかもその頃は3.11の直後ということもあってか、序盤はぼくの安否を気遣ってくれた内容から始まり、自分でも憶えていないような当時の学校での思い出も書かれており、「もし困ったことがあったらいつでも連絡をくれ。俺たちは親友じゃないか」というようなことも書いてあった。


 「もう10年以上も連絡してないのに、こうしてメールをくれるなんて本当にありがたいことだな」としんみりしながら読んでいたのだが、その後に書いてあったやたらと長い文章を読んでみると、


 「ところで話は変わるんだけど、俺はもうあの学校を辞めて、今はプライベートティーチャーとしてskypeとかを使ってスペイン語をマンツーマンで教えてんだ。で、 昔のよしみで授業料安くしてやっからまたスペイン語勉強しねえ? あと、あの時の生徒で今でも連絡してる奴がいたらそいつのメールアドレスも教えててくれや」


 という、要はてめえの仕事の売り込みが目当てのメールだったことがわかったのでちょっとイラッと来たが、せっかくメールを送ってくれたことには変わりはないのでお礼の返信をした。

 しかしスペイン語に関しては、今となってはどれだけ安かろうが講師が誰であろうがお金を払って学ぶ気はさらさらないし、そもそもその手の手法だとどのようにお金を払うのかもよくわからないし、かといって日本の銀行から海外の銀行口座に電信で振り込もうものなら手数料がとんでもないことになってしまう……、といった事情もあるので授業の件はやんわりと断ったところ、それ以来まったくメールをよこさなくなったのでかなりイラッと来た。


 とはいえ、何だかんだで彼にはかなり良くしてもらったのは間違いはないので、当時の学校内では誰よりも“サッカーヲミナイトシンジャウ病”の重病患者だった彼が愛してやまなかったメキシコのクラブチーム・Cruz Azul(=クルス・アスールの動画でも貼っておく。

Cruz Azul, クルス・アスール, メキシコ, サッカー, メキシコシティ正式名称:Club Deportivo Social y Cultural Cruz Azul A.C. 
愛称:Cementeros, La Máquina
創立:1927年                             
ホームタウン:メキシコシティ
ホームスタジアム:‪Estadio Azul‬(35,161人収容)            
オフィシャルサイト(スペイン語):www.cruz-azul.com.mx/



 クルス・アスールは国内大手のセメント会社が母体のチームで、国内ではトップ4に入る人気チーム。なかなかの強豪で、CONCACAFチャンピオンズリーグ(北中米・カリブ海のクラブ王者を決める大会)では2012年時点で歴代最多の優勝回数(5回)を記録している他、2001年には招待枠で参加したCopa Libertadores(=コパ・リベルタドーレス。南米のクラブチャンピオンを決める大会)で、メキシコのクラブとしては史上初の準優勝を記録したほどに侮れないチームである。2012年時点では1997年に国内リーグで優勝して以降はタイトルから遠ざかっているようだが、それでもコンスタントに代表選手を輩出しているとか。過去には元イタリア代表MFのカモラネージも所属していたこともある。




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tag : メキシコ留学体験記2 Cruz_Azul クルス・アスール メキシコのサッカー スペイン語の教え方

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Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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