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#09-スイス人は凄いという話

 さて、日本語を学ぶネイティブとの交流会でのひと時と、UFO研究のビデオを見せられたばかりに混沌と混乱と狂熱が未だ残る週明け、新たに2人の生徒が参加することとなった詳細はこのページ

 2人ともスイス人女性なのだが、1人目は恐らく30歳前後で金髪碧眼のお綺麗な白人さん。名前はもう覚えていないが仮名としてアンナとでもしておこう。
 因みにCuernavaca(=クエルナバカ)は常春の避暑地ということもあって、ぼくと生徒仲間のタツの身なりは常に夏の夜にドンキホーテへコーラとスナックを買いに行くかのようなカジュアルスタイルが基本だったし、これまでに来た女生徒連中も似たような感じで、日焼け対策こそしていたものの基本的にはラフ&スッピンがデフォルトだったが、アンナは身だしなみにはこだわっていたようだった。たとえカジュアルでまかり通るような場でも最低限のTPOはわきまえていたようで、最低でも化粧と首元のスカーフとパンプスだけは欠かさないタイプだった。彼女から醸し出すオーラは、何だかファーストレディとかどこかの王室の人のような気品に満ち溢れていた。

ダイアナ, ヒラリー・クリントン, リンダ・マクマホン, Diana Frances, Hillary Rodham Clinton, Linda McMahon, WWE,
年も国籍も全然違うがだいたいこんな感じ


 しかも、スイスという多言語国家で生まれ育ったこともあってか、ドイツ語とフランス語はネイティブレベルでイタリア語と英語はほぼネイティブレベル、スペイン語学校に来た割には既にスペイン語もかなりマスターしているマルチリンガルのようで、正に才色兼備を絵に描いたような人だった。


 アンナは何だかんだで1ヶ月くらいいたのだが、なぜかぼくは彼女からあからさまに嫌われていた。
 最初のうちは挨拶を交わしたり話しかけてもそれなりにフレンドリーに対応してくれたが、割と早い段階でぼくへの態度はかなりつっけんどんになり、無視まではされなかったまでもぼくに対して快い感情は持っていないなと直感で思うようになった。
 別に偉そうな態度をとった覚えもなければ威張っていたわけでもないし、「おまえ、オッパイ小さいんじゃないか」島津ゆたかばりのセクハラ発言をしたわけでもない。自分としてはごくごく普通に振る舞っていたつもりだったのだが、ぼくの行動のどこかに気に入らないところがあったのだろう。
 しかも、何か言ってくれればこちらも態度を改めようと考えられるのだが、面と向かって指摘されたわけではないので直そうにも直しようがない。もしかしたら被害妄想だったのかもしれないが、ぼくとしても嫌われてしまった以上は無理に好かれようとも思わなかったので、「まあ、しゃーねーや。中にはそういう人もいらあな」と割り切って極力距離を置くことにした。


 そして、もう1人も名前は覚えていないので、仮名としてヨハンナとでもしておこう。
 年の頃は恐らく40後半と思われるが、彼女の外見はアンナとは対照的に誰がどう見てもヒッピーにしか見えず、思わず“もしかしてモントレー・ポップフェスティバルでジミヘンのパフォーマンスを目撃しました?”と聞きたくなるくらいフリーダムを謳歌してそうな人だった。

Monterey Pop Festival, モントレー,ロックフェスティバル,ジミヘン,Brian Jomes,ブライアン・ジョーンズ,Janis joplin, ジャニスモントレー・ポップ・フェスティバル‬(Monterey Pop Festival)
1967年6月にカリフォルニアで行われた大規模なロックフェスティバルで、野外フェスの走り。The WhoAnimals, Grateful Dead, Jefferson Airplain等、錚々たるミュージシャンが数多く登場。当時は無名だったジミヘンJanis Joplin等の人気に火が付いたきっかけにもなった。余談だがエクスペリエンスを紹介するBrian Jonesが超クール。




 上述のとおり個人的にアンナとはソリが合わなかったが、ヨハンナにはそれなりに気に入られた。
 彼女はぼくと同様寮に住んでいたので授業後も何かと話す機会も多かったことや、話してみたら見た目通りジョン・レノンとか古いロックが大好物だったので共通項はそれなりにあったこと、そして、当時唯一知っていた著名なスイス人ミュージシャンであるPatric Moraz(=パトリック・モラーツ)の名前を出したらかなり食いついてくれたのが功を奏したようだ。
 結局この人は2週間程度でどこぞへ行ってしまったが、夕暮れ時になると寮内の中庭のベンチに腰掛けてマルボロとビールを嗜む姿を何回も目にしたので、何から何まで見た目通りの人だなと思っていたことは覚えている。

Patrick Moraz, パトリック・モラーツ, イエス, YES, プログレ, キーボードPatrick Moraz(パトリック・モラーツ)
プログレ界を代表するスイス人キーボディスト。1974年にリック・ウェイクマンの後釜としてYESに加入したが、『Relayer』の一作のみで脱退。その後はソロ活動の他、動画のとおりドラマーのビル・ブラフォードクリス・スクワイアあたりとコラボしたり、Moody Bluesに参加したりと幅広く活躍。1944年6月24日生まれ。



 それにしても、同じスイス人とはいえ方やファーストレディ、方やヒッピーという相当対極にあろうスタイルの持ち主が同時に来るとは、本人たちも思いもよらなかっただろう。


 ところで、こうしてスイス人が同時に複数来たのは、やはりこの学校で窓口を取り仕切るスタッフさんがスイス人だからかな? と思っていたのだが、実際に彼女たちの間で交わされる会話はほぼ100%スペイン語で、世間話でも事務的な用件でも母国であろうドイツ語やフランス語が混じるということはまずなかった。
 この状況を自分に置き換えると、生徒仲間であるヒロやタツといった日本人同士でも会話の内容にかかわらずスペイン語だけで会話をするようなものだ。確かにわざわざメキシコくんだりまで来ているので母国語をできるだけ排除するのはある意味あるべき姿かもしれないし、実際に講師連中からも“日本人同士でもなるべくスペイン語で会話しろ”みたいなことを言われたことがあるが、正直なところそんな考えはぼくらには一切なかったので、“これがスイス人の特性なのか?” と勝手に思っていた。


 そしてその週末の放課後。この学校恒例のFiesta(=フィエスタ・飲み会)が行われた。
 最初のうちは各々が思い思いに飲んだくれていたが、いつしか自然といくつかのグループに分かれてダベるようになった。ヒロとタツは講師連中と、ぼくはここの住み込み使用人である青年・Marioと「800ランプは果物何が好き? 俺はリンゴ」「そうね、リンゴもいいけどやっぱりスイカかな?」といった至極どうでもいい話をしていたのだが、スイス人はスイス人で固まったようで相も変わらずスペイン語で会話をしていた。

 “いくらここがメキシコだからって、スイス人同士なのにスペイン語で通すなんてさすが多言語国家は違うな”と遠目から感心していたら、だんだんと3人のテンションは上がっていき、むしろ議論のようになっていった。けっこう早口だったのでMarioに尋ねてみたところ、どうやらスイスの政治とか経済について話しているようだった。

 当然ながらその手の話題をした以上はリラックスムードで穏便に事が終わるはずもなく、やがては正に“朝まで生テレビ状態”の如く白熱した議論が展開されていたが、そんな精神状態でありながらも彼女たちの口から一切母国語は出ず、全て流暢なスペイン語で交わされている
 しかも、日本語で言うところの「えーと…」とか「……じゃなくて」というような、思わず口に出てしまうような単語ですらスペイン語である
 これをぼくら日本人生徒連中に置き換えれば、日本人同士で日本の雇用状況とか外交の現状についてわざわざスペイン語で話し合っているようなものだ。そんなことは絶対にありえないし、脳がそこまでついて行けるはずもない。


 そんな切羽詰まった状況でも、公用語以外の言葉で全て通せるのはスイス人の気質なのか3人の能力が高いだけのかはわからないが、傍から見ていてけっこう圧巻だった。ここまで来ると、何だか超高速テトリスの神技プレイを見ているかのような感覚である。

3.00あたりからが特に圧巻


 兎にも角にも、“スイス人てすげーな”と思ったと同時に、“そこまでしゃべれんなら何でここにいるの?”とも思った次第である。




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テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記2 スイス人 モントレー・ポップ・フェスティバル ジミヘン ‬パトリック・モラーツ

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コメントありがとうございます。

途中の段階でアップしてしまいましたので、改めて加筆しました。
鍵付きなので最低限に留めますが、好意的に読んでいただいたようで嬉しく思います。
今後もこんな感じで書いていくと思いますので、少しでも参考になれば幸いです。
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ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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