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#04-勃発!フライドチキン戦争

※グレーの背景色のあるワードをクリックすれば、別ウインドウで詳細が書いてあるページにジャンプします。

クエルナバカのソカロ
滞在していたCuernavaca(=クエルナバカ)のイメージ映像と動画。

 

 さてさて、本格的にメキシコ生活が再スタートしたわけだが、相変わらず授業の休み時間では飽きもせずバレーボールをせざるを得ない羽目に陥っている。別に参加しなくてもいいのだが、男性陣クラスメイトであるところのヒロとタツが毎度積極的に参加するので何となく自分もその輪に入らないといけないような気がして、露骨に顔に出さないまでも他の参加者とは少々低い温度で参加している毎日である。

 このページでも触れているようにこの余興で厄介なのは、所詮は余興のくせに部活レベルの真剣さと体力を必要とされるにもかかわらず、勝っも負けても褒美らしいものが一切ないことだ。しかもそれでいて授業に影響が出るほどの疲労を覚えるのだから、ある意味本末転倒といっていい。

 しかしながら積極的に参加するヒロとタツもそのことは気づいていたようで、ならばいっそのこと何かを賭けて試合をした方がもっと盛り上がるのではないかという論調になった。とはいってもさすがにお金だとギスギスするし、かといってタコスとかビールといった単価の安いモノでは張り合いがないから何かベストアイテムはないかとあれこれアイデアを出しあっていた。さすが彼らは根っからの体育会だけあって中止という発想は無いらしい

 そこで誰か(というか、ヒロかタツのどっちか)が講師連中にそんな話を持ちかけたところ、「だったら今度のFiestaのために、ビールとKFC(ケンタッキーフライドチキン)のパーティバーレルを賭けよう」という話になった。

 因みにこの学校では毎週末の放課後には校内でFiesta(=フィエスタ・華のない凡人どもによる飲んだくれ集会)が日没くらいまで行われているのだが、確かにパーティバーレルだったらFiestaのメインディッシュとして十分成立する。勝利のご褒美としてはうってつけのアイテムだろう。他のメンバーからも反対意見はなかったので、今後のバレーボールはパーティバーレルのタダ食いを目指すこととなる。ぼくは根っからの帰宅部気質なのでどう転んでも「先生、俺バレーがしたいです」とはならないが、参加せざるを得ないのが現状である。

KFC, ケンタッキー,フライドチキン,メキシコのKFC
メキシコのKFC店舗の一例。特に郊外の大通り沿いに構えている店舗は中も広くて冷房もバッチリきいている上、いつ行っても満席になることはあまりないので けっこうくつろげたりする。しかし夜に利用すると周囲が真っ暗で店内だけがやたらと明るい分、何とも言えない寂しい気持ちになることも。KFCに限らずこ の手のファストフード店はどこも全席禁煙で、値段も少々高め。


2010年のメキシコ版KFCのCM。鶏肉を多く消費する文化なのでフライドチキンの人気も高い。メインフレーズの「buenisimo」は英語で言う「good」の最上級にあたるので、日本語では「超ウマい」とか「うまい、うますぎる」あたりと思われる。



 さて、今までとは違い今回は戦利品がかかっているためか、不平のないようにとルール確認も厳密に行うこととなった。
 結果、「サーブ権が発生するラリーポイント制を採用」「点が入る毎にポジションを時計回りでローテンションすること」「1セット15点で2セット先取した方が勝ち」「Fiestaまでゲームが終わらなかったら、その時点でのスコアで決める」ということになった。

 同時にメンバー編成はより燃えやすくということで、ぼくら日本人生徒4人VSメキシコ人講師3人+スイス人のスタッフさんによるアライアンス(連合軍)で行くことになった。
 しかし、日本人陣営のタカコさんとアライアンス陣営のフリーダはハナから興味がないので、「マジ勘弁!」とばかりに早々に出場を辞退した。彼女たちの決断に他のメンツは残念がっていたものの、ぼくから言わせれば至極真っ当な判断だろう。

 そうなると日本陣営が男3人で、アライアンス陣営が男2+女1になるのだが、アライアンス側から“それでは戦力的にアンフェアだ”と物申したため、高校生にもかかわらずなぜか今週は平日の昼間でもフルタイムで参加できると宣言したここの雑用青年・マリオがスタッフさんの代わりに加わることとなった。

 正直、彼の参加はかなり驚異である。これまでも何回か彼のプレーを見てきたが、彼のスピード・スタミナ・パワーのパラメータはウイニングイレブンで言えば最低でも黄色で表示されるほど群を抜いている。言ってみればオッサンだらけの草野球の試合に、つい最近まで高校球児だった大学生が助っ人で入るようなものだ。

pro evolution soccer, ウイニングイレブン, ウイイレ, パラメータ
マリオの推定パラメータはこんな感じ

正直卑怯なような気がしなくもないが、兎にも角にもこれで参加メンバーは決まった。これにより対戦構図は日本代表VSメキシコ代表となった。
 

 で、そんなこんなで試合が始まったのだが、やはり状況が状況だけに緊張感と勝利への執念は今まで以上に双方からびしびしと伝わってくるので気が抜けない。
 確かに今までも部活色がかなり濃かったものの、最終的にはどんな展開になろうとほのぼのとした空気だったものだが、今回ばかりは味方のミスで失点しようものなら「ドンマイ、まだ序盤だから大丈夫。気にすんな!」と真剣な表情で鼓舞するし、サーブをするにも相手のフォーメーションやボールの方向を気にしながら打とうとするので時間もかかるし、挙げ句の果てには今までだったらまず追いかけないようなラインギリギリに飛んでくるようなボールも懸命に追いかけるようにもなった。

 前述の通り、たかがパーティバーレルのためにそこまでするのは傍から見れば滑稽に映るかもしれないが、ここまで来るとパーティバーレルだけの問題だけではない。各々のプライドやアイデンティティ、ひいては国家の威信にもかかわる重要な試合とも思えてしまうのだから、我ながら不思議である。
 何せ、帰宅部気質のぼくですらボールを追いかけた途中でバランスを崩し、アスファルトの地面に後頭部を痛打してまで返したりもしたので、それこそ部活どころか四天王プロレスばりのシビアでストイックでスリリングな攻防が繰り広げられることとなる。

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【四天王プロレス
1990 年代、プロレス四天王と呼ばれた三沢光晴、川田利明、小橋建太、田上明の4人を中心に行われた試合スタイル。不明瞭な要素を全て排除した究極のプロレスを 目指し、受け身の取れない脳天から落とすスリリングな投げ技の応酬や、体力・気力を限界の限界まで振り絞ったストイックな攻防は当時のファンから絶大な支 持を得た。しかし
影響は業界全体まで波及したために他団体でも危険な技を連発せざるを得なくなったこと、選手のダメージが深刻なまでに蓄積したことで結果的に三沢のリング禍につながったこと、あれだけ身を粉にして戦っていたにもかかわらず日本人選手の待遇は外人に比べてかなり悪かったことが後に判明するなど、在り方については現在でも賛否両論が起きている。


 何だかんだでマリオの次元を超えたプレーやミゲルのパワー、リカルドの飄々としたプレーに悩まされたものの、数日をかけて試合を行なった結果、ぼくら日本代表が2-1で勝利。晴れてパーティバーレルはメキシコ側が支払うこととなった。


 その後は宴に突入。
 しかし、普通であればこれだけの試合をした後なのだから互いをねぎらう意味でも相当盛り上がってもおかしくはないのだが、現実には殆ど盛り上がらなかった。


 その原因は明白で、あまりにも張り切りすぎたせいで試合終了後にタツが足首を痛みを訴え、そのまま病院に直行する羽目になったからである。診断の結果、日常生活にも支障をきたすほどの重度な捻挫をやらかし、その後しばらくは松葉杖での歩行を余儀なくされ、登下校も行きはホストファミリーが、帰りはミゲルが車で送迎することとなった。まさかパーティバーレルが遠因で外国の病院に通う羽目になるとは思いもよらなかっただろう。しかも結果的にパーティバーレルにすらありつけなかったのだから、失ったものが多すぎである。

 だが、これが原因でその後しばらくはちょっとした自粛ムードになり、それは落ち着いた休み時間を過ごすこととなった。彼の犠牲を考えると手放しで喜べるはずもないのだが、本来の目的であるスペイン語習得に集中できるというものだ。


 因みに前述の通りぼくも後頭部を痛打したが、幸いにも大事には至らずに済んだ。しかし、もし致命傷を負っていたとしたら理由が理由だけに泣くに泣けないし、そもそも学校側は何らかの保障をしてくれたのだろうか。今にして思うと、いくら何かが賭かっていたとはいえ所詮はお遊びであそこまで本気になるのはかなりアレだろう。どう考えても。





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テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記2 KFC ケンタッキー・フライドチキン ウイニングイレブン パーティバーレル 四天王プロレス

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Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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