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San Miguel de Allende(サン・ミゲル・デ・アジェンデ)-お料理教室再開。 ユースホステルのひとびと #04

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サン・ミゲル・デ・アジェンデの位置(クリックで大きくなります)



 メキシコで働きたがっている4人の日本人が、ファミレスの角の席で何やらディスカッションをしている。聞けば、彼らは訴訟の準備をしているところだという。
 訴訟の相手は、メキシコでマージャン牌を製造・販売している韓国の企業だ。訴訟理由は、マージャン雑誌の欄外にある「この手だと何を切る?」だけで採用を決めるのは、マージャンがわからない人を軽視していて不公平だという。



 ……今朝はそんな夢で目が覚めた

 昨日一悶着はあったが、問題は解決したので今日もクッキングスクールへ向かう。

 本日のメニューは2つ。
 まずはPozole(=ポソレ)という料理。豚ガラベースのスープに大粒のホワイトコーン、ダシをとったほぐし済みの豚肉、レタス、赤カブなどをブチ込むというとてもヘルシーな料理だ。


ポソレ
Pozore(=ポソレ)
今回作ったのはプレーンだが、赤のチリスープバージョンと緑のチリスープバージョンもある。ポソレにおいては、Tostada(トスターダ)と呼ばれるカリカリに焼いた(揚げた?)トルティーヤと一緒に食べるのが一般的。



 そしてもう一つは、Ensalada de Nopales(=エンサラダ・デ・ノパレス)
 これは、塩茹でした食用のウチワサボテンをメインにしたサラダである。


ensalada de nopales(サボテンのサラダ)
Ensalada de nopales(エンサラダ・デ・ノパレス)
サボテンベースのサラダ。茹でたサボテンの食感は茎わかめみたいにシャクシャクしていて、噛み切ると少しヌトッとなるのが個人的にはたまらない。




 早速、講師のアドバイスとレシピに従って、作業開始だ。

 前回はぼくも含めて生徒が5人いたので作業中も常に賑やかだったが、今日はマンツーマンということもあるので、沈黙と会話が交差することになった。たとえ二人でも賑々しく作業してもいいのだが、話題はできるだけ小出し小出しにしておいた方がいい。なぜなら、今日の時点でたくさん話してしまうと明日には話すことがなくなり、更に沈黙が続くばかりか、「日本では燃えるごみの日は何曜日なの?」といった不毛な会話を余儀なくされる恐れがあるからだ。尤も、メキシコに「燃えるゴミの日」という概念があるのかどうかは知らないが




 数時間後に両方とも完成。早速二人で試食タイムだ。
 講師のアドバイスとレシピ通りに作ったので、そりゃあ美味いに決まっている
 しかし、豚肉やホワイトコーンのモソモソと感は想像以上に口の中の水分を吸収するため、飲み込むのにかなり時間がかかる上、ホワイトコーンは腹にたまるので、すぐにお腹いっぱいになる。食べ切れなかったので残りをタッパーに入れてもらい、晩飯に利用することにした。

 さて、そろそろ帰ろうかと思ったら、講師はぼくを呼び止めた。
 何でも、これから彼女の妹さんが今からここに来るらしいので、できれば会ってやってほしいというのだ。
 講師の年齢から考えてもお見合いの話ではないのは明らかだが、はて?

 理由を聞いてみると、何でも妹さんは過去に仕事で日本に住んでいたことがあるらしく、その際に日本人のホスピタリティや人柄にいたく感動し、以来大の親日家なのだそうだ。
 そして昨日講師が妹さんと世間話をしていたときにたまたま自分のスクールの話題になり、現在日本人が通っていることを伝えたら、是非とも直接会って敬意を表したいと言って聞かなくなったそうだ。しかも妹さんは仕事でもうすぐメキシコを発たなければいけないので、今日でなければいけないらしい。

 …なるほど。確かに理由はわかった。
 しかし、個人的にはその人から敬意を表される覚えはまったくないのだが、そこまで日本のことを好きでいてくれるのは、同じ日本人として嬉しいではないか。ここはぼくがサムライブルーの一員として、ありがたく受けておこう。

 そして30分後、その妹さんが到着した。
 挨拶もそこそこに、

 「ワタシ、ニホンジンダイスキデス。コレハ、アナタニプレゼントデス」

 と、封筒を渡してくれた。
 
 日本人のメンタリティを少なからず知っているということなので、「だったらこの中に入っているのはお金だな!」と確信したが、開けてみたら、ラテンチックなチョーカー、メキシコを代表する画家・Frida Khalo(=フリーダ・カーロ)の肖像画が描かれたマッチ箱、シリコン製の腕輪だった。ぼくも日本語で「ありがとうございます」とお辞儀をしてありがたく受け取った。


フリーダ・カーロFrida Kahlo(フリーダ・カーロ)
メキシコの現代絵画を代表する画家。若い頃に事故に巻き込まれて重傷を負ったり、同じくメキシコを代表する画家・Diego Rivera(=ディエゴ・リベラ)と結婚してもうまくいかずにイサム・ノグチと浮気したり、リベラと離婚したり、晩年は右足の切断を余儀なくされたりと、波乱万丈な人生を送る。メキシコシティにある生家は現在博物館になっており、人気の観光スポットの一つになっている。2002年には彼女の人生を描いた映画『Frida』が公開された。
1907年7月6日生まれ。1954年7月13日没。



 その後しばしご歓談。
 何でも妹さんは通訳の仕事をしているそうなのだが、英語・ドイツ語・フランス語・イタリア語・ポルトガル語といったスペイン語と同系列の言語はコンプリートでカバーしているばかりか、日本語もバッチリ、その上アラビア語まで対応しているという、かなりマルチなお方だ。しかも現在はレバノンに住んでいるというらしい。

 そして日本で仕事をしていた時は荻窪に住んでいて、主にテレビ局の仕事を請け負っていたようで、オリンピックとかワールドカップといったグローバルなスポーツイベントの通訳兼コーディネーターの仕事をしていたという。

 うーん、三好鉄生ではないが、世の中にはすっごい人がいるもんだ

 更に、彼女には通訳以外にもメキシコ国内では“ホテル経営者”というもう一つの顔があるようだ。

 これに関しては単純に私腹を肥やすためではなく、通訳で稼いだお金で高級ホテルを建て、それを増資・拡大することで人員を雇用し、微力ながらメキシコの失業問題を少しでも解消するためという、とてつもなく崇高な目的で行なっているというのだ。はっきり言って、とても耳が痛い

 そしてその際にそのホテルのカードとリーフレットを渡されたのだが、彼女曰く、何でも日本人の客は日本人というだけで宿泊料は無料らしい。サービス的にはかなり偏り過ぎている感があるが、そういうことはもっと早く言ってもらわないと。そうすればメキシコの観光ビザで滞在できる180日間を、全てここで過ごしていたのに!

 別れ際に、「コンドニホンヘイクノデ、ソノトキマタアイマショウ」と言ってくれたが、そんな人がわざわざ一般庶民のぼくと会うメリットがあるようには思えないのだが。


 兎にも角にも、図らずも思いがけない出会いを堪能した後、ホステルに戻った。
 今日のPC占拠者は例のミシガン女ではなく、4人しかいないくせに日本の女友だちが25人いるといって聞かない例のメキシコ人男性(通称:マナブ君)だった。何やらSKYPEでPCの向こう側の人とディベートしている。
 そんな彼を尻目に、ぼくはすぐ近くにある掲示板に貼られていたメキシコ各地のユースホステルの情報をチェックしていた。基本的に今回の旅は着の身着のままだし、滞在期間までビッチリ予定が詰まっているわけではないので、要は今後に向けての情報収集のためだ。

 メモ帳によさげなホステルの住所とか電話番号をメモっていたら、マナブ君に呼び止められた。
 「ンモー、またタバコせびられ?」と思ったが、ぼくが今履いている短パンがとってもステキすぎるので、是非とも売ってほしいと言い出した。 

 因みに短パンといっても八分丈だが、ひざ下はファスナーで着脱が可能というスグレモノ。何せ、下々の庶民ではまず手の出せないあのユニクロ製なのだから、彼が気に入るのも無理はない。
 実際、これとは別に海パン兼用の短パンも持っているのでちょっと上乗せした額で売ってもかまわないのだが、機能と履き心地はこっちの方が断然優れているので、売るのは惜しい。帰国が3日後とかなら間違いなく売っていたのだが、まだ中盤だし。

 やんわりと拒否すると彼はあっさり引き下がったが、実はデザインが気に入ったからじゃなくてブルセラ趣味だったらどうしよう?と若干不安にもなった。


 それから数時間後、再びマナブ君に呼び止められた。
 何でも、今夜近くにある別のユースホステルでFiesta(=フィエスタ・パーティとか飲み会)があるから、ぜひ来てほしいとのことだった。


<次回へ続く>


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テーマ : メキシコ
ジャンル : 旅行

tag : メキシコ旅行記 ポソレ Pozole クッキングスクール Frida_Khalo フリーダ・カーロ Diego_Rivera ディエゴ・リベラ Ensalada_de_nopales サボテンのサラダ

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Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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