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【閑話休題】ウルグアイについて書いてみる



 かなり唐突だが、ぼくは昔からピクシーことドラガン・ストイコビッチというサッカー選手が大好きである。

 現役時代は旧ユーゴスラビア、新ユーゴスラビア(後のセルビア・モンテネグロ)代表の中心選手で、ゲームメイクのセンスや各種キックの精度、変幻自在なドリブル等は世界屈指のレベルだったこともあって若い頃から将来を嘱望されていて、プロになってからも当時のペレやマラドーナ、プラティニといった大物からもその才能を絶賛されていた。実際に1990年のワールドカップ(以下W杯)ではベスト8まで進出したし、1998年大会でもキャプテンとしてベスト16進出に貢献した。

 しかし母国の崩壊や民族紛争といった政治面の出来事がサッカー人生にかなり影響を及ぼしたばかりか、当時所属していたクラブの不祥事にも巻き込まれるという不運が重なったことで、本人曰く“半年だけヨーロッパを離れるつもり”で1994年に名古屋グランパスへ移籍した。
 来日直後こそ、ある意味Jリーグ独特のジャッジ基準に慣れずに苛立ちを隠せず警告や退場を乱発したり、当時はプロサッカー黎明期ということもあって自分とチームメイトのプロ意識の違いに唖然としていたものの、元々持っていた才能はJリーグでも遺憾なく発揮されたことや、当の半年後には以前から尊敬していたというアーセン・ベンゲル氏が名古屋の監督に就任したこと(現在はアーセナルの監督)、日本での生活がかなり気に入ったことなどもあって、最終的には半年どころか2001年に現役を引退するまで名古屋でプレーし、チームの象徴として歴史に名を刻んだ。Jリーグの創生期には当時の世界的なビッグネームが選手が多く来日したが、何だかんだで7年もの期間を日本でプレーした世界的なプレーヤーは彼くらいのものだろう。


 そんな彼は2012年現在名古屋の監督だが、その前にはセルビア・モンテネグロサッカー協会の会長を務めていた時期があった(当時。後にモンテネグロ独立に伴い、それぞれセルビアサッカー協会モンテネグロサッカー協会に分裂)
 その頃に彼はインタビューで、こんなようなことを言っていたらしい。

 「セルビアにはこれといって世界的に名の知れている産業もアイコンもない小さな国だ。だからこそセルビアという国を世界に知らしめるためには、国を挙げてサッカーに力を入れて結果を出すしかない」


 これを聞いた時、確かにそうかもと思った。
 例えばメキシコでいえばタコスとかテキーラであったり、ペルーだったらマチュピチュとかナスカの地上絵、フィンランドだったらノキアとかサウナ、ジャマイカだったらレゲエ……等々、知名度や人気に差はあれど何かしら国を象徴づけるグローバルなアイテムを持つところは多いが、セルビアに関してはこれといって思いつかない。
 個人的にはサッカー関連であれば色々と知っていることはあるが、それ以外となると政治や経済面は除いたとして、「首都はベオグラード」「バレーボール、バスケ、ハンドボール、水球といった他の球技のレベルも高い」「美男美女が多い」「女子テニスプレイヤーのエレナ・ドキッチもセルビア人(※ただし二重国籍者なので現在はオーストラリア人として活動)と言うようなことしか知らない。

 もちろんこれらしか思い浮かばないのはただの勉強不足といってしまえばそれまでだが、サッカーやピクシーがきっかけで多少なりともセルビアに興味を持ったぼくでもその程度なのだから、サッカーに興味がない人にとってはそれこそ国の名前を聞いてもピンと来ない人も多いのではなかろうか。
 だからこそ、世界で最も影響力のあるサッカーで結果を残すことが国の知名度や国力の向上につながると考えているところは、協会の会長としての意見であると同時に一人のセルビア人としての率直な意見でもあり苦悩のようにも感じた。


 ……とまあ、何故セルビアについて長々と書いたかというと、先日久しぶりにMSNメッセンジャーを開いていた時のこと。
 このブログにちょいちょい出しているメキシコ人の友人・Manuelがアクセスしてきたので、久方ぶりにチャットをすることとなった。SkypeやらFacebookやらLINEやらが全盛のご時世にMSNメッセンジャーでチャットというのも実に古めかしいが、別にwebカメラをやインカムを使ってまで話そうとはお互い思っていないし、そもそもぼくはインカムを持っていないし、もっと言えば最近Facebook絡みで腹の立つことが頻発したので現在は個人アカウントを停止しているからメッセンジャーしか選択肢がないというのは余談として、彼とこうして交流するのは本当に久しぶりのことだったので、何だかんだでけっこうな時間を使っていた。

 まあ、話す内容なんざ「最近どうよ?」とか「何か変わったことあった?」というようなごくありきたりの雑談でしかないのだが、このページの後半でちらっと書いているように、どうやら彼は本当に奥さんの故郷であるウルグアイの首都・モンテビデオに家族共々引っ越したようだ。
 その時はウルグアイがいかに快適で治安が良くて美しいところかを力説していて、「案内してやるからいつでも遊びに来い」とか、挙げ句には冗談混じりで「一緒にウルグアイでビジネスを立ち上げようぜ」とまで言っていた。


 そんな彼のやりとりで、個人的にはウルグアイのことなんて殆ど知らないことや、そもそも日本でも大して知られていないことを考えると、何だかウルグアイの境遇というか存在感が先のセルビアと似ているなと思ったからである。かなり前置きが長くなってしまったが、要はそういうことである。


 尤も、サッカー絡みであればウルグアイについて知っていることはいくつかある。 
 1930年に第1回W杯を開催したとか、W杯では2度の優勝経験があるとか、ディエゴ・フォルランアルバロ・レコバエンツォ・フランチェスコリといった世界的プレーヤーの出身地であるとか、代表のユニフォームは水色……とか。
 しかしサッカー以外の情報となると知っていることは「輸入タバコ店でよく見かけるアークロイヤルの原産地」「南米の南の方にある」「アルゼンチンに近い」「街並みが美しいらしい」「周辺も含めてメキシコとは若干異なるスペイン語が使われている」ということくらいしか浮かばない。


ark royal, アークロイヤル, ウルグアイ, タバコ
ウルグアイ原産タバコ・Ark Royal(アークロイヤル)。マイルドな風味と香しい煙が特徴で、バニラ、アップルミント・チョコレートなどのフレーバー系を多数揃えている。個人的にもたまに吸いたくなる一品。しかしフレーバーによってはかなり甘ったるい煙が充満してしまうので、飲食店とか公共の場では注意が必要。



 ……そう考えると知られていないが故に興味を持ったので、ささやかにウルグアイに関して調べてみることにした。


 まずは手始めに『地球の歩き方シリーズ』を図書館で借りてみたのだが、やはりウルグアイ単体では発行しておらず、アルゼンチン チリ パラグアイ ウルグアイという扱いのようだ。
 しかも紹介されているのはモンテビデオも含めて3カ所だけで、ページ数も中表紙を含めて30ページ弱という有様なのは、国の面積自体が狭いので仕方のないところだろう。ただ、パラグアイに至ってはカラーではなく2色刷りでしか紹介されていないので、それよりはマシな気もするが。
 

 というわけで次の手段として、ぼくはiPhone4という超最新鋭の端末を使っているのでウルグアイに関するアプリを探してみた。

 とりあえず有料アプリでは、そこそこごついガイドブックとかオンラインラジオといったものはいくつかあって、無料アプリではとりあえず現地のテレビ局が管理しているらしい「Subrayado」というアプリが見つかった。
 一応ダウンロードしてみたのだが基本的には現地のニュースが中心で、過去に放送したであろう番組の一部分を抜粋した動画を閲覧できるサービスはあったが、どれも何だか堅そうなインタビューやコメンテーターらしき人が一人でしゃべっているものばかりだったので、面白みには欠ける。
 それ以外には有料版ガイドブックのLite版とか現地の交通情報とか現地のテレビ番組表とか国旗当てクイズみたいなやつしか見つからなかった。

 そして、個人的に重宝しているJustin TVというUstreamのワールド版みたいなアプリではけっこう中南米の番組が充実しているので、ウルグアイ発信の番組もいくつかあるだろうと思って検索してみたが、いわゆる現地のちゃんとしたテレビ局発信のものはなさげで、恐らく民間人が趣味で発信しているであろうラジオくらいしか見つからなかった。何だかこういう状況が国の実情を表しているような気もするが、やはり他の国に比べて明らかにウルグアイの情報は少ない。


 ……そこでYOUTUBEで関連の動画を探してみることにしたのだが、さすが世界最大の動画共有サイトということもあって、けっこうな数の動画がアップされている。とかく便利な時代になったものだが、何だかここに来てようやく有益な情報を得た感じがするのは気のせいだろうか。

ウルグアイの首都・モンテビデオの街並み


 これ以外にもいくつか見てみたが、第一印象はなかなか良さそうなところである。私見では、特に中心部らしきエリアは前の旅行で訪れたサンフランシスコにどことなく景観が似ているような気がするが(サンフランシスコ旅行記はこちらを参照)、街並みはどこも近代的で美しいし、区画整理もきちんとされているようだし、衛生面でも行き届いているようだし、全体的に広々としているように思えるので、行ったら行ったでそれなりに楽しめそうではある。


 それに、モンテビデオではないが歴史を感じさせる古風な街もあるようだ。

南西部にあるColonia del Sacramento(=コロニア・デル・サクラメント)の街並み。ウルグアイで唯一の世界遺産らしい。


 そして、旅行といえば現地ならではの食文化も気にしたいところであるが、どうやらウルグアイは肉食文化が盛んのようだ。
 ウルグアイではAsado(=アサード)と呼ばれる肉の炭火焼きがソウルフードで、何かにつけて肉を食べるらしい。肉の種類も様々のようで、普通のステーキはもちろんのこと、Parrillada(=パリジャーダ)という各種肉類やソーセージ、内臓等の盛り合わせも人気を博しているようだ。他には、お国柄としてイタリアの文化も根強いためにスパゲッティなんかも人気とのこと。

 また、日常の飲み物はマテ茶が広く愛飲されている様子。個人的にはマテ茶というとペルーやボリビアといった標高の高い国の人が高山病対策に飲んでいるイメージを勝手に持っていたので、これもまたなかなか興味深い。

アンソニー・ボーディンというアメリカのシェフ&作家が、世界へ渡りご当地料理を食べ歩く『アンソニー・世界を喰らう』というグルメ番組より。因みに同番組では北海道にも訪れ、味噌バターラーメンやウニイクラ丼といった定番だけでなく歴史や文化も交えてアイヌの伝統料理も紹介したのは実に興味深い。その動画はこちら。


 こういう映像を見ると人間の本能もあってものすごく美味しそうに見えるが、今となってはカツ丼や牛丼には一切魅力を感じなくなり、鰹節をかけたぬか漬けと緑茶の組み合わせに至福を感じているほどおじいちゃんになってしまったので、こんな量の肉を出されても多分150gくらいで飽きてしまいそうだ。しかし、これもこれでなかなか興味深いではないか。


 こうなると、日本からウルグアイの行き方も知りたくなったので、早速わざわざ近所の旅行代理店に見積もってもらってみた。ここまで来るともはや冷やかしでしかないが、その時対応してくれた人はものすごく親切だったので、すぐにウルグアイへ行くかは別としても今後海外へ行くことがあったらこの人に手配してもらおうと思っている。

 ……というフォローを入れつつ色々聞いてみたところ、どうやら東京からだとフロリダ州マイアミ経由モンテビデオというルートが最短で最安値らしい。
 しかし最短といっても成田空港からマイアミまで15時間はかかるようで、更にマイアミからモンテビデオまで9時間、乗り換え時間とか出入国の手続きも入れればトータルで30時間弱はかかることになる。

 しかも、もっと言えば最低でも24時間は飛行機の席でじっと座っていなければならないということなるので、かなり苛酷な移動であることが予想される。個人的にニコチン中毒者だからということもあるが、これまでの経験上メキシコまでの距離でも苦行でしかなかったので、一人で行くには精神的にも辛すぎる。さすがにぼくの周りにはウルグアイに同行してくれるほどヒマも金もある知り合いはいないし、逆に南米旅行に興味があるようなヤツは既に放浪済みだから再び行くテンションはもう持っていないっぽいので、これもまた実に深刻な問題である。

 で、肝心の飛行機代はシーズンや為替相場によって多少の変動はあるものの、何だかんだで最低でも実費で25万円は見ておかないとダメなようだ。聞くところによると日本から直線距離で最も遠いところにあるがウルグアイらしいので、仕方のないところだろう。

 それにしても、25万円という額は非常にリアルである。単純に考えれば中小や零細企業で働く従業員の月給とほぼ同額ということを考えると、当然ながら気軽に「行くか」という気にはなれない。


 更に現地の物価を調べてみたのだが、どうやらウルグアイの物価は南米で最も高いらしく、相対的にも日本と大して変わらないようだ。
 まあ、宿に関しては安いユースホステルを使えばかなり節約できるかもしれないが、要は過剰な節約意識を持たない限りはスイスやロンドンを泊まりがけで観光する場合と同じスピードでお金が減るということになる。かといって、これまでの経験上旅行において過剰な節約ほどバカらしいことはないので、これもなかなかの死活問題である。


 しかもここで最大の問題は、“ウルグアイへ行く以上はウルグアイに行けさえすれば良いわけではない”ということである。何せ南半球に行くことは人生でもなかなかないので、せっかくそこまではるばる足を運んだ以上は単純に往復するだけでなく、ついでに近隣の国にも行っておかなければ後々後悔するに決まっている。

 モンテビデオからだったら飛行機で1時間もかからずにアルゼンチンのブエノスアイレスに行けるようなのでどうせならそこまで足を伸ばしたい。アルゼンチンは前から興味のあるところなので、近くに居ておいて行かないという選択肢はない。
 そして、仮にブエノスアイレスの土を踏んだとしたらせっかくなのでイグアスの滝とかチリのサンティアゴあたりにも行ってみたくなるだろうし、イグアスまで行ったらブラジルのサンパウロあたりにも足を伸ばしたくなるだろうし、サンティアゴに行ったら行ったでちょっと遠いがイースター島にも立ち寄らない手はない。さすがに場所が南米ともなると、“今回行けなかったところには次の機会に行こう”というわけにはいかないのだ。

 しかしながら、行動範囲を広げればその分費用と時間が発生するのは当然のこと。そうなるとトータルで40〜50万円くらいの予算は必要になってくるだろうし、滞在期間も最低2週間は必要であろうことを考えると、旅行資金だけでなく2週間仕事を放っておいても今後にも財布事情にもあまり影響を及ぼさない基盤を作る必要があるだろう。


 そして先の会話では、絶対に現実味を帯びないことは承知の上でビジネスの話も出たことなので、ついでに経済状況なんてのも調べてみた。
 
 何でもウルグアイの経済規模(GDP)は約2.8兆円らしい。(出典はwikipediaを参照)
 この数値を他の国や地域と照らし合わせると、メキシコの約2.5%東京の約3%オーストラリアの約6.7%ベトナムの約3分の1ルクセンブルクの約半分程度だそうで、日本では佐賀や徳島と同じくらいなのだそうだ(比較対象の出典はこのページを参照)
 要するにウルグアイという国を大ざっぱに言うと、経済規模然り知名度然り存在感然り「南米の佐賀もしくは徳島」ということだろう。



 ……兎にも角にも、色々調べてみると他の国に比べて明らかに情報が少ないことはわかったが、むしろ少ないが故に実際に行ってみて何があるのかを見てみたいという気持ちにはなっているので、もしこの先海外旅行をすることがあった時の渡航先候補に入れておくのも悪くない。



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#21-メキシコで起きた奇跡

 この留学記にて通っていたCuernavaca(=クエルナバカ)のスペイン語学校には何だかんだでいろいろな国の人間が来たが、なぜかこの学校はとにかく日本人生徒が多かった。

 別にこの学校は日本人専門というわけではないのでアメリカ人やドイツ人、スイス人、カナダ人なんかも来たが、少なくともぼくが滞在していた間は日本以外のアジア人は中東を含めても一切来なかったし、日本以外の人種の方は単発でぽつぽつと来ていたという感じで、恐らく8割は日本人だった気がする。少なくとも日本時は一人だけということはなかったし、時期によっては生徒全員が日本人ということもざらだった。
 しかもこの現象はぼくが滞在していた時期だけに限ったことではないようで、昔から慢性的に日本人生徒の比率が高かったらしい。


 確かに、スペイン語を勉強する日本人はそれなりに多いという話は聞いたことがある。
 スペイン語は使用範囲も広くて単語の発音も日本語と近いし、スペルの読みも基本はローマ字読みということもあって日本人にとってはけっこう取っつきやすい言語とされていたため、語学としての市場は時期に関係なく常に一定のパイはあるというようなことは、何かのものの本で読んだ。ましてや人口の分母を考えれば、それなりに多いのは自然のことでもある。

 しかしそれだったら、エリアにもよるかも知れないが日本よりも地理的に圧倒的に近くて日本よりもスペイン語が日常生活により密着しているであろうアメリカやカナダから生徒がもっと多く入学してもおかしくないはずだが、どういうわけか日本以外の外国人はアメリカ人も含めて圧倒的に少なかった学校だった。



 で、ぼくの場合は新しい生徒と初めてコミュニケーションを取る時は無難に各々の出身地を聞いていたのだが、割合的に関東圏から来たという人が多かったものの、やはり各生徒さんの出身地は千差万別だった。この頃、というか今もそうなのだが、まだ国内で行ったことのない場所は多いので訪れたことのない地域の特徴やローカルな習慣を聞くのはけっこう面白かったし、テレビでしか聞いたことがなかった流暢な方言をライブで聞くと、何だかとても新鮮に思えたものだった。

 また、たまにスペイン語講師陣から過去に来た日本人生徒のことを話題にすることもあって、「オキナワは良いところらしいな?」とか、「前に来た日本人はシズオカ出身って言ってたけど、行ったことある?」というような話を聞くと、やっぱり狭いようで日本も広いものだと痛感したものだった。

 
 そしてそれと同時に、いくら日本人生徒が多くても自分と同じ地元の人が来ることもそうそう無いものだとも思った。
 ぼくの住まいは決して辺鄙など田舎ではなくむしろ国内でも大きい部類に入るところだが、それでもかろうじて自分の行動範囲内に住んでいるという人が何人かいただけで、さすがに都道府県レベルで一致することはなかったのだ。


 さて、話は若干変わってそんなある日のこと。
 前に、クエルナバカのカレッジで日本語を学んでいるネイティブとの交流パーティに参加したことで相も変わらず何人かの生徒とちょちょい会っているのだが(詳細はこのページで)、その時知り合った生徒の一人であったジェシカ(仮名)という生徒から、

 「今度私たちが通ってるカレッジに来てみない?」


 
というお誘いを受けた。念のために説明しておくと、ここでのカレッジとは日本で言う専門学校のようなものである。

 そこは日本語専門というわけではなく各種外国語のクラスとか日本で言う国家資格を得るためのクラスとかもあるらしいのだが、敷地内で珍奇な行動を取って警察沙汰にしない限りは部外者でも気軽に立ち入れるらしい。
 また、ぼくはてっきりそこで日本語を教えているのは先の交流パーティを主催してくれた初老の講師だけだと思っていたのだが、他にも日本人講師がいるとのことだった。
 まあ、行ったからといって授業に参加したり手伝ったりするわけではなく単に校内を見学するという程度なのだが、外国の学校風景を見るのも何だか面白そうだったので、行くことにした。 

 で、このお誘いはジェシカがぼくにホの字だったからではなく、単純に自分たちの講師を紹介したいという厚意であり、ぼくしか行かなかったのはぼくがこのお誘い自体を直前まで忘れていたので、その他の日本人生徒にこの話を伝えなかっただけである。
 


 そして当日。
 カレッジはクエルナバカのCentro(=セントロ・繁華街)にあるのは知っていたので、校門前で落ち合うことになった。ジェシカは約束の時間から10分くらい遅れてきたが、基本的にメキシコ人は「約束の時間から15分後くらいまでが約束の時間」だと思っているので、彼女から言わせれば「約束の5分前に来たから私は律儀」ということになるらしい。

 そんなことはともかく彼女に案内されるままに中へ入ったのだが、いくつものクラスを抱えているだけあって敷地内には多くの若者が行き交っている。
 校門前でくっちゃべりながら時折大声で笑いあっている友人グループがいたり、階段に座ってテキストを熱心に黙読している生徒がいたり、ベンチで二人だけの世界に浸っているカップルがいたりなんかするのは、正にTHE・カレッジといった佇まいである。
 そういうのを横目で見ながら「何か、オマエら青春だな!」とか、「よくわかんないけど、何かエロくねえ?」と思ったのは単純にぼくの全てがいかれポンチだから仕方ないとして、それにしても敷地内に入ってからというもの、周辺の人間ほぼ全員からガン見されているのが非常に気になるところである。

 確かにここでのぼくは外国人ということもあって日常生活でも頻繁に通行人と目が合うのだが、ここまで視界にいる人間全員からバッチリ凝視されているのは、今いるところが学校だからなのだろうか。まあ、相手の表情を見たか限りでは特に悪意はなさそうではあるが、何だか満員電車で汚いオヤジに胸元を視姦されている女子大生にでもなった気分である。男だけど。


 相も変わらずジェシカの後をついて行ってたら、「ここが日本語のクラスよ!」という感じで教室のドアを指した。
 すぐさま「さあさあ、お入んなさいな」という感じで促されたのでドアを開けてみると、そこには10人くらいの生徒がいた。その中には面識のある生徒も何人かいて、目が合うと¡Hola!(=やあ)とにこやかに応えてくれた。

 どうやら今は授業の休み時間のようで生徒は皆リラックスムードだったのだが、教壇にはぼくと同世代らしき日本人女性が立っていた。どう考えてもこの人が講師だろう。
 反射的に「あ、どうも」と会釈したのだが、まさかこれほど若い講師だとは思わなかったので少々面を喰らった。
 また、向こうもまさか知らない日本人が来るとは思っていなかったようで、かなり警戒心の強い表情を見せながらも「あ……、こんにちは」と返した。

 ぼくからすればこのタイミングでぼくが来るのは知っているものと思っていたが、ジェシカに聞いてみると勝手にぼくを連れてきたようでかなり困惑したのだが、そんな困惑をよそに「リアルな日本語の会話をライブで見てみたいから、ちょっと二人で会話してみてよ」という感じでけしかけてくる。
 事情を知った他の生徒もけしかけてくるので、とりあえず場を持たない限りは円満にここから出られない空気になった。


 お互い「何だかな」という戸惑いは隠せないでいたが、しばしご歓談となった。

 石井(仮名)と名乗った講師さんは海外経験がかなり豊富のようで、ここに来る前はアメリカのとある州のちゃんとした大学で日本語を教えた経験があるとのこと。本来は英語講師としてここで働き始めたばかりらしいのだが、アメリカでの経験や元々教員の免許を持っていることもあって、何となく掛け持ちで教えることになってしまっているらしい。
 また、メキシコの学校で日本語や英語を教えているくらいだからスペイン語のスキルもかなりのものらしく、ジェシカ曰く「ネイティブと大差ない」らしい。それだけ外国語を使いこなせる頭脳の持ち主ならば、語学講師という仕事は天職だろう。ここで講師として働くことになったきっかけは忘れたが、それにしてもこの若さでありながら外国語を教える仕事に従事して、自分の稼ぎでメキシコで暮らしているということに心の中で「何か、すげーな」と驚愕しっぱなしだった。


 それからはありきたりだが、何故ぼくがここに来たのかとかジェシカたちとどうやって知り合ったのかという話なんかをした後、石井さんの方から「ところで日本のお住まいはどちらなんですか?」と聞かれた。

 「ああ、○○ですよ」
 「え、本当ですか? ○○のどこですか?」
 「××ってところなんですけど」
 「因みに××のどこですか?」
 「△△町っていうところなんですけど知ってます?」
 「ウソー!? △△町なんですか? 私の地元は□□町なんですよ」

 

 なんと、石井さんの実家はぼくの住まいと同じ市内で、□□町というところは車だったら10分くらいで行けるほどのご近所さんだったのだ。個人的にも□□町はけっこう土地勘もあるところなので、この時点で本人から聞かずとも出身中学が判明するという予想だにしない事態に、思わず「スゲー! マジっすか?」と後輩口調になってしまった。まさか日本から1万キロ以上も離れた異国で同郷の方とお会いするとは思いも寄らなかった。

 因みにここにいた生徒はまだ初歩的な日本語しか理解できていないこともあってぼくらの会話を同時通訳レベルで理解できるはずもないのだが、会話のイントネーションや表情は何となく伝わったようで、石井さんがスペイン語で事情を説明すると、「へー、そんなこともあるんだね」といった反応を示していた。



 このときはこれで終わったが、これ以降カレッジの生徒とプライベートで会う時は石井さんもちょいちょい顔を出してくれた。
 元々の社交性が高く年齢も皆と近いこともあって、カレッジの生徒からは仲良しの友だちの如く慕われていたようだし、ぼくら側の生徒の中にはアメリカに留学したこともある人や海外で働くことを目指している人もぼちぼちいたこともあったので、すぐに打ち解けた。

 で、ある日の雑談ではちょうどぼくが日本に戻る頃に彼女も一時的に実家へ戻ることがわかったので、「日本に戻ったらまた会いましょう」という話になり、互いの連絡先を交換することになった。

 そして実際にぼくが日本に戻った頃、メキシコで世話になった知人連中に日本土産の一つでも渡して欲しかったので連絡を取ったのだが、何せ石井さんは生活の拠点が海外ということもあって日本の携帯電話を持っておらず、番号は自宅の家電話だった。
 で、実家だからその時に母親らしき人が出たことは仕方ないとしても、まさか20代後半女性の家に電話をかけて「娘とどういう関係ですか?」と聞かれるとは思わなかったのでいろいろな意味でビックリした

 「警戒心が強すぎだろ?」と思いつつも、「実は私、石井様にはメキシコで大変お世話になった者でして……」と丁重に言ったら取り次いではくれたが、確かによくよく聞いてみたら、地元でもけっこうなお嬢様というか学年でも上位の成績の持ち主しか入学を許してくれない高校に通っていたらしいので合点はいった。恐らく石井家は先祖代々肉親であろうと女子は15歳まで男と接触させない環境で育てる家訓かなんかがあるのだろう。


水乃小路
石井家の母(想像)


 しかしよくよく考えてみると、どこの馬の骨かわからないような日本人の男からの電話には警戒するわりには、いくらレディファーストの文化が定着しているとはいえ明らかに日本人よりもタチの悪い虫が有象無象にウヨウヨしているメキシコでの生活を許しているのは、どうにも矛盾しているような気もするが。
 ていうか、実際にとある男のメキシコ人生徒がマジ惚れして口説こうとしてたし! 実際に口説いたかどうかは知らないけど。


 兎にも角にも、「世間は狭いな」なんて思っていたのだが、しばらく経ったある日のこと。
 通っていたスペイン語学校に、森さん(仮名)という初老の日本人男性が新たに入学してきた。

 何でも森さんは最近まで建築だか不動産関係の仕事をしていたが、定年を迎えたので残りの人生を満喫すべく以前から興味があった中南米旅行を計画していたところ、言葉がわかればもっと面白い旅になるだろうということでスペイン語を学ぶことを決め、だったら現地で勉強すれば覚えも早いだろうし行きたいところにもすぐ行けるという結論に至って語学学校を探し、ここに行き着いたのだそうだ。団塊世代だけあって、この決断力と資金力はさすがである。

 上述のとおり、初対面の日本人には最初に出身地を聞くのはテンプレートなので、コミュニケーションとして聞いてみた。

 「私は○○の◆◆に住んでるんだよ」


 なんと、偶然は重なるもので森さんもぼくと同じ○○に住んでいるようなのだ。
 しかし正直なところ、確かに◆◆というところも近くといえば近くなのだが石井さんの□□町ほど近くはないし、個人的にもあまり馴染みのない場所なのでややインパクトは薄い。
 しかし視野を広げれば地元には変わりないので「そうなんですか? ぼくは××だから近いですね」と言ったら、話はかなり意外な方向に進むこととなる。


 「え? 君は××に住んでるの?。 ××のどこ?」
 「△△町ってところなんですけど、知ってます?」
 「へー、△△町なんだ?  あのあたりは仕事してた頃によく行ってたから知ってるよ」
 「へー、そうなんですか?」
 「△△町っていえばさ、原さん(仮名)と鈴木さん(仮名)知ってる?」
 「原さん
と鈴木さん?」
 「知らない? あの両家は君のところでも相当な地主じゃない」
 「……ああ、その原さん
と鈴木さんですか。確かに有数の大地主ですね」
 「確か原さんの本家は★★線の◎◎駅の近くにある、あのでっかい豪邸だよね」
 「……ええ、確かにそうですけど本当によく知ってますね」
 「あそこは本当にお城みたいだよね。しかもあの裏にある大きい雑木林とあの一帯の田んぼも全部原さん所有でしょ?」
 「……まあ、そうかもしれませんね」
 「でさ、鈴木さんの本家も大きいけど原さんの家ほど大きくないよね」
 「……うーん、よくわかんないけどそうなんですかね?」
 「でも原さんよりいっぱい土地持ってるでしょ? だって、あのあたりのマンションとか駐車場は全部鈴木さんが売った土地だし、あの辺以外にもいっぱい持ってるもんね。あとさ……(以下略)



 ……別にいいんだけど話の内容がローカルすぎるだろ!
 しかも同じ町内どころか同じ自治会の住人しか通用しないくらい範囲が狭い話じゃん!
 というか、別にメキシコでするような話でもないし


 それにしても石井さんの時点で「外国でここまでのご近所さんと知り合うなんて偶然はそうそうないだろう」と思っていたが、まさかピンポイントで自分の地元を熟知している人が来るとは、本当に世間は狭い。


 因みにこんな偶然は後にも先にもこれだけだったが、恐らく今までの人生でもかなり大きな奇跡の一つでもあったので書いてみたが、あまり画像や映像を必要としない内容だったので、環境映像としてCuernavaca(=クエルナバカ)のセントロの動画を貼っておく。


Cuernavaca(=クエルナバカ)のセントロ(=繁華街)の中心地・Zocalo(=ソカロ)の映像。







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tag : メキシコ留学体験記2 日本語講師 メキシコの日本語学校 面堂了子母

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800ランプ

Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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