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#25-更なる変化

 さてさて、授業のスタイルは堅実かつ保守的なリカルドとは180度違うスタイルを持つフリーダに教わることで学校生活にも変化が訪れたが、当時の住まいであったホスト先にも変化が現れた。

 今までの住人は家主の老夫婦とぼく、そして同じ学校に通うアメリカ人親子の5人だったが、新たに初老のアメリカ人男性が増えることとなった。名前は忘れてしまったので、仮名としてMr.スミスとでもしておこう。これぐらいメジャーな名字だったらあたってるかもしれないし。

 といってもMr.スミスは留学できたのではなく本業は教師だか教授のようで、毎年決まった時期にクエルナバカの教育機関から呼ばれるらしく、その時は必ずこの家のお世話になっているのだそうだ。

 アメリカ人なのでもちろん英語はペラペラだがスペイン語もネイティブばりに話せるようで、それなりに長い付き合いもあってか家の人とはごく自然にスペイン語でコミュニケーションを取っているし、しゃべりのスピードも頭の回転もネイティブと遜色はない。教授だけあって彼の立ち振る舞いや佇まいは気品と知性に満ちあふれていて、今思えばロバート・フリップを彷彿とさせるそれを持ち合わせていた気がする。

Robert Fripp(=ロバート・フリップ)
プログレッシブロックという概念を確立したとされるロックバンド・King Crimson(=キング・クリムゾン)のギタリスト兼バンマス。ジャズ・ロック・ヘヴィメタル・フュージョン等を融合させた代表曲『21世紀のスキッツォイドマン』は、発表から40年以上経った今でもまったく色あせることのない斬新さと革新さを放っており、世界中に多大な影響を与えた。ギタースタイルとしては緻密かつロジカルなアルペジオを得意としており、複雑で長丁場なリフも機械のごとく正確に弾きこなす。今でも毎日2時間のギター練習を欠かさないらしい。



 彼が家にいるときは、よく裏庭でプラスチック製のイスに座りながら物思いに耽っていた。

 因みにホスト先はかなり高台にあって、裏庭からは鬱蒼としげった木々を一望できる。
 そしてその下にはけっこう大きな川が流れていて、すぐ上流にはSan Anton(=サン・アントン)というちょっと大きめな滝があるので、この家にいる限りは絶えず滝の音が聞こえてくる。しかもその音量もうるさすぎず小さすぎない適度なバランスで、更にCuernavaca(=クエルナバカ)の気候は日陰だったら半袖Tシャツでちょうど良いくらいなので、ここにいるとまるで高原のペンションでくつろいでいるかのような気分を味わえるのだ。

 そして向こうがぼくに気づくと決まって、「おお、君か。君もこっちに来たらどうかね?」と声をかけてくれた。
 ぼくとしても断る理由はないので、特に用事がなければお言葉に甘えて対面のイスに座ると彼はキッチンから二人分のコップと、この家に出入りしている者なら誰でも手を付けていい自家製のレモネードを持ってきてくれて、それを飲みながら世間話をよくしていた。

 Mr.スミスはこの裏庭のシチュエーションが大好きなようで、滝の音を聞きながらこの景色を眺めていると日常のいやなことや煩わしいことが全て洗い流せる気がするので、毎年この家に来るのが楽しみだと嬉しそうに言っていたことを覚えている。

 そんな彼のもてなしは確かにありがたかったのだが、実を言うと申し訳なさがあったのも事実だった。
 というのも、年も人生のスタートラインも離れすぎているので共通の話題がさほどないことと、当時のぼくのスペイン語のスキルではたかがしれてるし、かといって英語もまともに話せるわけがないので会話が成立させる自信がなかったからだ。
 しかし彼は、ぼくがここに来た理由と現在のスキルを理解した上でいつもぼくに声をかけてくれて、意図的にぼくでもようなレベルの人間でもわかるくらいの発音とスピードで丁寧に話しかけてくれたし、時には英語も交えたチャンポンでもいろいろ話しかけて返事を引き出そうとしてくれた。その上、ぼくが何か言おうにも言葉に詰まって辞書を引きながらでも、彼は苛立つことなく待ってくれる。

 要するに、彼はぼくの目的に全面的に協力してくれているわけだ。いくら同じ屋根の上に住んでいるとはいえ、所詮は他人でしかない人間に対しても損得勘定抜きここまでしてくれるのは本当にありがたい。
 しかも向こうから振ってくれるテーマもかなり親切で、今思えばかなり気をきかせてくれていたのだろうが、

 「写真でしか見たことはないが、日本の城や寺は本当に美しいね」

 とか、

 「日本ではやはり魚をたくさん食べるのかい?」

 など、主に日本のことを聞いてきてくれた。
 このあたりは同じ日本のことでも、

 「おまえの彼女はゲイシャか?」

 
とか、

 「日本人だったらカンフーできるんだろ?」

 などと頭が湧いてるようなことしか聞いてこない輩(主にタクシー運転手)とは違いすぎる
 

 それはともかく、彼は言葉の面ではなくいわゆるメキシコの他の場所についてもいろいろ教えてくれて、観光名所や危険な場所、外人向けのガイドブックには載らないような穴場のことも細かく教えてくれたりもした。

 その中で一番役に立ったのはメキシコシティのホテル情報で、

 「この先メキシコシティで泊まることがあったらこのホテルに泊まるといい。ここは値段も安くて快適だし、満室になることもないから予約の電話も不要だ」

 と言いながら、財布から名刺サイズのホテルカードを渡してくれたのだ。
 因みに、留学を終えた後も何だかんだ理由を付けてはメキシコに訪れているのだが、メキシコシティに一泊以上せざるを得なかった場合は決まって彼から教えてもらったホテルを利用している。このページで触れているホテルももちろん同じである。次回の訪墨は未定だが、またメキシコシティに泊まることがあったらもちろん利用するつもりだ。


 とはいえ、彼がいてくれて最もありがたかったのは、あのアメリカ人親子の相手をしてくれたことだった。

 彼らとはこのページでの一件以来、関係がバイエルン・ミュンヘンとマテウスくらい冷え切ってしまい、ここ最近の昼食と夕食はさながら窃チャリで警察に補導されて署まで親に迎えに来てもらった日の晩飯くらい重々しい空気が流れていたので、Mr.スミスの存在は清涼剤どころか、パンクで立ち往生しているときに偶然通りかかったF1のピットクルーくらい頼もしい


Lothar Matthäus(=ローター・マテウス)
国内でのA代表歴代最多出場とワールドカップ最多出場記録、その他主要タイトル各種を持つ元ドイツ代表選手。FWとGK以外の全てのポジションをこなせたハイレベルのユーティリティプレーヤー。気性の荒さからトラブルメーカーとしても有名で、元同僚や関係者から公然と批判されたり、指導者となってからも雇い主と意見が衝突して辞任・解任されることもしばしば。現役時代の功績と貢献を考えれば、たとえ指導者としての実績は皆無でも古巣のバイエルン・ミュンヘンからアシスタントコーチくらいのオファーがあってもおかしくないが、関係者曰く「草むしり係としても雇う気はない」とのこと。


 そもそもこの親子がここに来た目的は息子の教養を高めるためだったのだが、けっこうな期間が経つにもかかわらず肝心の息子が大して教養を高める気になっていないことと、親父も親父で““あくまでも自分は付き添いの保護者”という姿勢を最後まで貫く気満々なので、同じく言葉をさほど覚える気はない。ましてやメキシコで英語が通じるところはリゾート地と高級ホテルと大使館くらいしかないので、心ゆくまで母国語で会話できるMr.スミスは貴重な存在だったに違いない。相当英語に飢えていたのか、食事時はもちろんのこと食後も何だかんだで父親がほぼ独り占めにしていたが、彼にもいやな顔一つせず付き合っていたMr.スミスには改めて感服してしまう。

 このページにあるようにこれまでマリア様に現状打破を祈願していたが、ようやく気づいてくれたようだ。
 そういえばぼくが通っていた幼稚園がキリスト教系で、何かというと賛美歌を歌わされたりイエス様の生誕劇をやらされてた記憶があるのでむしろキリスト教にはあまり良いイメージはなかったのだが、まさか今になって願いを叶えてくれるとは。まあ、だからといってこの先教会でお祈りをしたり自分の名前をペテロとかマイケルに改名する気はさらさらないのだが、この先パンを食べることがあったらマリア様の身体と思って食べることにしよう。


 兎にも角にも、学校だけではなくホスト先でもなかなかな変化が出てきたのだが、近いうちに予想だにしない大きな変化が起きることになる。




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テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 Robert_Fripp ロバート・フリップ Lothar_Matthäus マテウス バイエルン・ミュンヘン アメリカ人

#26-そして誰もいなくなった-And Then There Were None

 何度も書くようだが、学校生活にも変化が出たばかりかホスト先でも新たな住人が増えたという変化が起きたことと、ようやく自分自身も異国での生活にコツをつかんだような気がしたので、なかなか良い方向に向かっているのではないかという感触を得た最中、また新たな変化が起きた。

 そんなとある金曜日の放課後。
 ここでは、毎週末の放課後は学校の敷地内で日没くらいの時間までFiesta(=フィエスタ・パーティ)という名の“華のない凡人どもによる飲んだくれ集会”を行なうのが通例なのだが、この日はちょいと意味合いが異なり、授業を修了した3人の送別会となった。

 まずそのうちの二人はアメリカ人親子で、翌日の土曜日に故郷であるサンフランシスコに帰国するという。
 元々彼らは息子の見聞を広めさせるという親心で長期休暇を利用してここに来たわけだが、遂に終わりを迎えたというわけだ。
 まあ、正直なところ肝心の息子のテンションは低く、傍から見てても最後まで大して上がったようには見えないのでこの企画は決して成功したようには思えないが、良い時間を過ごしたかどうかは本人が決めることだと思うので、外様であるぼくがとやかく言うことではないだろう。

 そしてもう一人は、日本人生徒の一人であるヨシツネさん(仮名)である。

  元々彼も長期滞在ではなく、ちょっとスペイン語に興味があったから学費と物価の安いメキシコにちょっと来て勉強してみたかっただけという程度のテンションで来たらしいのだが、いざ暮らしてみたら思いのほか居心地が良かったらしく、それに比例してかスペイン語習得にも俄然目覚めたようで、短期日程を組んでしまったことにかなり後悔していたようだ。
 特に、講師間のリーダー的存在であるミゲルはヨシツネさん(仮名)を気に入っていたし、ヨシツネさん(仮名)もまた彼をかなり慕っていたこともあって、適当に騒いで飲み食いしているぼくらをよそに、二人で何やら深そうな話を長時間していたのを覚えている。
 なので、この日の夜はいつもよりも長く続き、今までよりも賑々しいフィエスタだった。
 
 そして翌日の土曜日。
 ノックの音で目が覚めたのだが、窓から差し込む光はまだ弱々しいし、実際に時計を見たら明らかに通常の起床時間よりも早い。
 基本的にぼくは低血圧なので、日本でこんな朝っぱらに起こされようものなら「こんな朝早くに起こすんじゃねーよ、クソババア!!」と叫びながら近くにあるヤングマガジンあたりを思いっきり投げつけるのがデフォルトなのだが、さすがにメキシコでもそんなことが出来るほどのタマではないので、何事かと思いつつドアを開けたら、そこにはすっかり帰り支度の整った親子が立っていた。

 すると父親の方が、
 「起こしてしまってソーリーなんだが、私たちはもう出発する。これで君とはグッバイだ」

 というようなことを言ってぼくに右手を差し出したのだ。

 ぼくにとってはかなり意外な展開だったので面を食らってしまった。
 というのも、かつてここをステイ先にしていた別の学校に通っていたアメリカ人留学生二人組は(通称・ウーピー・ウィリアムズ&ダニエル・カール姉。詳細はこのページで)、短いながらも同じ屋根の下で暮らした間柄だったにもかかわらず何の挨拶もなしにしれっと帰りやがったので、どうせこの親子もしれっと帰るのだろうと踏んでいたからだ。ましてや、ぼくらは決して友好的な関係は築いていなかったので、その確率はあの二人組よりも確実に高いと思っていた。

 しかしながら、差し出された右手を握らない理由はないのでぼくも握りかえし、

 「Buen viaje.(=“良い旅行を”とか“気をつけて”みたいな感じの意味)

 と返しておいた。
 
 そして息子にも握手を交わし、同じ言葉を手向けてやった。我ながら粋なことをする自分にもビックリである。

 まあ、だからといって今までのことを全て水に流せるほどぼくも大人ではないので(詳細はこのページで)、あくまで“それはそれ”でしかないのだが、別れの挨拶をしてくれただけでもありがたく受け入れようではないか。


 そして、その日の夕方頃。
 ヨシツネさん(仮名)も出発するみたいなので、学校まで出迎えに行った。出発の便は翌日らしいのだが、念には念を入れる意味でも今夜はメキシコシティに泊まるらしい。
 やはり志半ばでの帰国はかなり不本意のようで、

 「いったん帰るけど、すぐにまたここに戻ってくるよ!」

 と、嬉しさと名残惜しさが混ざった表情でタクシーに乗り込んだ。



 そして時は進み、3人がいなくなった週明けのこと。
 新しい生徒は特に来ないようなので、生徒はリーダー格のオッチョさん、紅一点のユキジさんとぼくの3人だけ。「ここは本当にこんなんでやっていけんのか?」と余計な心配してしまうほど新規の生徒が来なくなったが、来ない以上は仕方がない。
 で、ここでは毎回4人の講師が常駐しているのだが、さすがに生徒が3人だけでは需要と供給が合っていないので、前まで教えてもらっていた新人巨乳若妻教師ことフリーダは今週ブッキングされず(詳細はこのページで)、ぼくの担当はまたリカルドに戻った。何だかな? という感じもしなくはないが、まあ彼でも別に文句はないのでこれも良しとしておこう。

 そんなある日の放課後、いつものように日本人連中と軽くダベっていた時、ここの事務や窓口を取り仕切っているオーストリア人のスタッフさんがやってきて、

 「私もここに座っていい?」

 と、空いてるイスに腰掛けた。彼女は今まで一度もこのダベりに参加したことはなかったので「珍しいこともあるもんだ」と思っていたが、もちろん断る理由は何一つないので歓迎しつつ、世間話に花を咲かせた。
 最初のうちは「スペイン語は上達した?」とか、「メキシコの生活はもう慣れた?」みたいな普通の会話だったが、だんだんと彼女も顔つきも神妙になり、「実はあなたたちに話すことがあるの」みたいなトーンになった。

 何でも、彼女は今週いっぱいでここの仕事を辞めることにしたと言うではないか。

 あまりの唐突な出来事にぼくら3人はアゴが地面に着いてしまうほど驚きを隠せなかったが、退職の理由は彼女曰く「給料がとにかく安いから」で、オーナーに賃上げを要求したらあっさり断られ、「だったら辞める」と食い下がったらあっさりと「どうぞご自由に」と言われたらしいので、ここで働くテンションがガタ落ちしたらしい。
 聞くところによると彼女も旅行でメキシコを訪れてからいたく気に入り、給料は多少安くてもいいからとにかくこの国で生活したいと思い立って今の仕事を見つけ、一日でも永く滞在するために得意のドイツ語と英語とスペイン語を駆使してあくせく働いていたものの、それでもチャラに出来ないくらい安かったのだろう。今後の具体的なビジョンはまだ決めていないようだが、とりあえずは国内をちょっと旅行して、その後仕事が見つからなかったらオーストリアに帰るつもりだという。


 これほどの短期間でここまでの変化が起きることに戸惑いは隠せなかったが、変化はまだ続く。


 明くる日の放課後のダベりでオッチョさんとユキジさんの口から直接聞いたのだが、来週から2人は一時的に休校し、2週間ほどペルーへ旅行するというではないか。

 実を言うと、この話は何となく聞いていた。
 というのも、前に2人はかねてよりマチュピチュとかナスカの地上絵とかインカの遺跡とかに興味を持っていたようで、日本へ帰国する前に行ってみたいというようなことは過去の雑談の中で何回かは出ていたのだが、実際に今は日本よりかなり近いところに滞在してるし、何だかんだでスペイン語はそれなりにマスターしただろうし、こうして互いの目的が合致しているし、お互い知らない仲ではないし、だったら一緒に行こうということだろう。
 以前、実際に2人から「ペルーとかに興味ある?」と聞かれたことはあったものの、当時は大して興味がなかったので「いや、別に……」ハイパーなメディアをクリエイトする人の元嫁のモノマネをしてしまったのだが、今思えばこの旅行のお誘いで、興味がないんだったらわざわざ誘うこともないだろうから2人で行くかということになったのだろう。なので、「お気をつけて」「戻ってきたら土産話でもしてくださいな」と言っておいた。
 

 ともあれ、この2人までがいなくなるとなると、少なくとも翌週からの向こう2週間は新たな生徒が入ってこない限りはここの生徒はぼく一人ということになるわけだ。


 「何か、一度に色々と変わっていくな」

 というようなことを思いながらメキシコ生活を継続していたのだが、変化はこれで終わらなかった。

 何と、自分自身もすぐに日本に帰らなくてはならなくなってしまったのだ。言ってみれば家の事情なのだが、まさかこのタイミングで自分が帰ることになろうとは。

 手持ちの帰りの便の日程はまだ先なので早速変更しなければならないのだが、さすがに外国で航空券の変更手続きができるほどの高等技術はまだ持ち合わせていないので、日本人生徒にお願いして旅行代理店まで付き合ってもらい、何とか次の週末の早朝に出発する便を手配してもらった。
 その後は学校とホスト先に事情を説明し、今週いっぱいで帰国する旨を伝えた。実質的に最終日となった週末恒例のFiestaは、前週同様スタッフさんとぼくの送別会めいたものになった。

 そして翌日の土曜日。
 出発の便はヨシツネさん(仮名)同様早朝なので、ぼくも念には念を入れるべくこの日にメキシコシティで夜を明かすことに決めた。もちろん宿泊先はMr.スミスに教えてもらったホテルである(詳細はこのページで)
 午前中はセントロ(繁華街)で土産類を一式買って時間をつぶし、午後は荷造りに勤しんだ。一通り身仕度を整えて一息ついた頃、ホスト先に手配してもらったタクシーのクラクションが外から聞こえてきた。この音は言ってみれば、終わりを告げるファンファーレのようなものだ。

 Mr.スミスも含めホストファミリーは総出で外まで見送りに来てくれたので、皆に別れの抱擁をする。
 おばあさんの、

 「この家はあなたの家だからいつでも戻ってきなさい」

 という一言に目の下の水門は一気に開放され、今までの感謝してもしきれないほどの施しを受けた分だけ水をドバドバとあふれ出しつつタクシーに乗った。

 その後はメキシコシティまでの長距離バスとタクシーを乗り継いでホテルに到着。
 シャワーを浴びてテレビを付けると陽気な音楽番組をやっていて、生バンドの演奏をバックにシンガーが声高らかに歌っている。特に面白いとは思わなかったし、今となってはどんな歌だったのかも覚えていないが、明日には機上の人になっていることを考えたら、何だかこの歌を聴かずにはいられなくなったことははっきりと覚えている。



 兎にも角にも、いったんはこれをもって留学記は終了となる。
 とはいっても、数ヶ月後にはまた同じ地を踏むことになるのでまだ終わりではないのだが、下の動画を一応のエンディングテーマのつもりにしつつ、以降はチャプター2として書くつもりである。


YOUTUBEでみつけたそれっぽい音楽番組の動画。今時の日本ではこの手の番組は流行らないが、伝統を大事にする国だけあってメキシコでは今でもこの手の番組は普通に放送している(はず)。



------チャプター1 了

テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1

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800ランプ

Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

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