FC2ブログ

スポンサーサイト

上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。

#01-とある年明け

 その頃、ぼくは都内の小さな会社で働いていた。
 当時は入社間もないペーペーで、迷惑をかけないよう周りに付いていくのが精一杯な毎日を送っていた。

 そんなとある正月休み、唐突に「年も明けたし何かしよう」という決意が脳を刺激した。

 新年というのは不思議なもので、ただ「年が明けたから」という理由で何がしかの目標を掲げてみたくなるものだ。「昇進」「転職」「独立」「志望校合格」「全国大会優勝」「毎晩歯を磨く」「半年前に切れたトイレの電球を交換する」「その一口がブタになる」など、人によって目的は様々だろう。
 
 脳内で「自分に何かできそうなこと」をリストアップしたら、なぜか「グローバル」というワードが頭に浮かび、「ならば英語を勉強してみよう」という結論に至った。

 因みに中学生の頃は勉強全般を嫌う劣等性だったが、なぜか英語だけは得意だった。100点を取ったことはなかったが、常に高得点をキープしていたのだ。尤もそれは中1の話で、その後の二年間(高校を含めると5年間)は他の科目と何ら遜色のない成績になったので、短い栄光ではあったが。

 取り急ぎ結論は出たものの、別に英語ができたからと言ってその先のことは頭にない。
 別に仕事で英語を使うことはないし、ネイティブの方々との交流をしてみたいというわけでもない。
 それに、目標と言っても要はヒマつぶしの一環でしかないので、行く末はギターでブルーハーツの曲をマスターする程度でいいわけで、休日に家で『かりあげクン』を全巻読破するよりは毒か薬にはなると思ったので、とりあえず近所の大きな本屋へ向かってみた。

 早速英語の参考書コーナーへ向かったら、視界全面に有象無象にテキスト類が陳列している。初心者用、受験用、検定用、ビジネス用などなど、品目は実に多岐に渡る。

 とりあえず片っ端からペラペラめくってみたのだが、初歩的で重大な事実に気づく。



 ……どこから手をつければ良いの?


 それらを読んだ限りでは、自分の英語レベルがどのあたりなのかが皆目見当が付かない。
 少なくとも中2以来まともに勉強していないので「中1レベル」なのは分かっているが、“じゃあ中1レベルの基準とは何ぞや?”と明確に記載しているテキストが見つからなかったので、早速“年明けの決意”を断念した。

 しかし、そのまま帰るのもアレだったので別のエリアを物色していたら、「スペイン語コーナー」とやらを発見した。
 たまたまた手に取った参考書の前書きを読むと、何でもスペイン語は英語に次ぐグローバル言語とのこと。本国スペインはもちろんのこと、アメリカ以南のほぼ全ての国の公用語にもなっているらしい。ということは、スペイン語さえ覚えれば、あとお金と時間がたんまりあれば行動範囲は広がるということだろう。 
 
 そういえば、ぼくはスペイン語が全く分からないわけじゃない。自慢ではないが子供の頃に少なからずかじったことがある。

 知ってる単語を列挙してみると、
  
 ・アミーゴ=友だち
 ・ビバ!=すばらしい!
 ・ミル・マスカラス=仮面貴族
 ・テキーラ=火の酒
 ・チャイニーズ=中国人(または目がつりあがってる人)
 ・ウルトラマン=カラテの使い手

(以上、『プロレススーパースター列伝』より抜粋)
 


 一部あからさまな勘違いがあるものの、予備知識としてこれだけあれば十分だろう。

 そんなバックボーンを持っていたせいか、目の前にあった『はじめてのスペイン語』みたいなテキストをペラペラとめくってみたところ、何か自分でもできそうだという錯覚(幻覚)が起きた。
 それに、ここの本屋は何か買わないと駐車料金が発生するので、その参考書をとりあえず購入してみた。

 一通りテキストを流し読みしてみたところ、スペイン語は思ったよりもとっつきやすいということが分かった。とにかく、発音とスペルはローマ字にかなり近いのだが、それだけでぼくにとっては大きい要素だった。
 ただ、子音が「J」の場合は「ハ行」(例:jeringa<ヘリンガ>=注射器・洗浄器・浣腸器・絞り出し器)「Z」だと「サ行」(例:zelote<セロテ>=ゼロテ党員)「h」は母音のみ(例:huemul<ウエムル>=動物のゲマルジカ)など若干の違いはあるが、英語みたく「gh」は読まないとか、「water」は「ワラー」と発音するとか、両国国技館を「スモウ・アリーナ」と訳すような制約がないというだけで好感が持てた。

 まあそれ以外にも色々と制約はあるのだが、たかだが初歩的な問題が理解できただけで、既にフロラン・ダバディ気取りだ。ぼくの精神構造なんて、キャバ嬢の携帯メールアドレス付きの名刺を渡されただけで舞い上がる客くらいチョロい
 
 そして、その勘違いは更に加速することになる。


スポンサーサイト

テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 スペイン語

#02-先走る勘違い

 そして勘違いは更に加速する。
 テキストだけでは物足りず 、“本格的にやってみるのも悪くない”という欲が出始めた。

 しかし、いわゆる大手の民間学校だとけっこうな授業料が発生するし、かといって周りにネイティブはおろか同胞の話し相手すらいない。因みにこの頃は根っからのアナログ野郎だったので、インターネットなどという高尚で最新鋭な媒体には手をつけることすら考えていなかった。

 どうしたもんか真剣に悩み、ポテチの油と青ノリまみれの指で某スクール情報誌をペラペラめくっていたら、学びたい言語に応じてネイティブの語学講師を個人的に紹介してくれるという斡旋業者の広告が目に入った。

 とりあえず電話で問い合わせてみたら、まずはこちらの希望に見合った人をリストアップし、該当する人が見つかったら個人的に会って話をし、「この人から教わっても問題ない」と判断できればそこで初めて業者に紹介料を収め、それ以降のことは講師と生徒間でやり取りするというシステムになっているようだ。要は出会い系の先駆けともいえるビジネスモデルだろう。
 リストアップは無料とのことなので、以下の条件を出してみた。

 ・スペイン語が公用語の国の人
 ・日本語もそこそこ達者な人
 ・都内近郊に住んでいる人

 ・料理が上手できれい好きな人
 ・ペネロペ・クルスとかサルマ・ハエックによく間違われる人
 ・要するに本人


 そして後日紹介されたのは、“埼玉在住で、日本語が話せないが英語は堪能なベネズエラ人男性”“都内在住で、日本語は片言のプエルトリコ人男性”という、「スペイン語が公用語の国の人」と「都内近郊に住んでいる人」以外はオール無視を決め込んだ、それでいて実に現実的な講師を紹介してくれた。

 とはいえ、やはり日本語がおぼつかない人とのコミュニケーションは不安だし、そもそもベネズエラもプエルトリコもよく知らない。ベネズエラに関しては、“そんな国がどこかにあったような気がする”程度しかなく、プエルトリコに至っては“ブルーザー・ブロディがホセ・ゴンザレスに殺された場所”でしかない。各々の講師としてのスキルは素晴らしいかもしれないが、そんな話題で円滑に事が運ぶわけがないので、改めて紹介してもらうことにした。

ブルーザー・ブロディブルーザー・ブロディ(Bruiser Brody)
本名・フランク・ドナルド・グーディッシュ。昭和プロレスにおいて最も成功した外国人選手の一人で、
ジャイアント馬場ジャンボ鶴田天龍源一郎アントニオ猪木等と熱戦を展開した。盟友・スタン・ハンセンとの「ミラクルパワーコンビ(超獣コンビ)」
は無敵の強さを誇り、現在でも史上最強タッグチームとも言われている。1988年にプエルトリコで仕事上のトラブルからホセ・ゴンザレスに刺殺される。享年42歳。独特の風貌とチェーンとニードロップでおなじみ。前職は新聞記者。


ホセ・ゴンザレス
ホセ・ゴンザレス(Jose Gonzalez)
プエルトリコ人レスラーで、ブロディを刺した犯人。一応裁判にはなったが現場に居た関係者は揃ってダンマリを決め込んだため、証拠不十分として無罪になった。全員ではないだろうがプエルトリコ人は「言ってもわからない奴は殺す」という物騒な気質の持ち主が多いとか多くないとか。


 数日後、業者からリストアップされたのは「都内在住で日本語もそこそこ話せるメキシコ人男性」だったら初めからそいつをリストアップしろと言いたくなるほどの二度手間ぶりだが、メキシコだったら知っているワードもいくつかあるし、これ以上の条件は望めないように思ったので、一度都内で会うことにした。

 約束の時間に待ち合わせ場所で会ったのは、ペネロペ・クルスやサルマ・ハエックとは程遠い小柄な中年男性だった。ルイスと名乗った彼は既に10年近く日本に住んでいるようで、現地ではリゾート地として有名なアカプルコという所から来日したという。

 前回でも多少触れたが、当時のぼくはけっこうなプロレス好き。メキシコも日本に負けず劣らずのプロレス大国。マスカラスを筆頭に選手の大半は覆面を被り、華やかな空中戦と複雑な固め技で観衆を魅了する、世界基準とはちょいとかけ離れた独特のスタイルで人気を博している。
 前述の『プロレススーパースター列伝』では、“メキシコは貧富の差が激しいので、貧乏人が大金をつかむにはプロレスかボクシングで成功するしかない”と書いてあったのでこのルイスも当然プロレスが好きに違いないと思って話題を振ったら、

 「いや、別に好きじゃない」

 と、どこぞのハイパーなメディアをクリエイトする人の嫁のモノマネをされたので、そのままテーブルを叩き割り相手のコーヒー代と修理費用込みの札束をブン投げて帰ろうかと思ったが、それ以外はごく普通の人だったことと(プロレスが好きじゃないのもごく普通だが)、一回あたりの授業料は決して高いとは思わなかったので、この人から学ぶことにした。

 その後ルイスとは、月に3~4回のペースで顔を合わせた。
 会う場所は大抵彼の住まいの近くの喫茶店で、テキストやノート、辞書などをテーブルに並べ、個人授業を受けていた。
 その日の進み具合にもよるが、授業時間目いっぱいを勉強に使うのではなく、残りの10分はあえてスペイン語で会話することで、生きた言葉を習得するというスタイルだった。話題はその日によって様々だが、大抵は彼の母国・メキシコのことだった。

 彼がぼくの習得の度合いをどう思っていたかは知らないが、個人的にはけっこうなペースで進展しているような気がしていた。
 また、彼の話を聞いている内に新たな欲も出るようになった。ネイティブによるマンツーマンの授業だけではなく、実際に現地へ行ってみたいという、ある意味行き着いた先にある欲。スカした言い方をすれば、“語学留学”、全うな言い方では“お金のかかる現実逃避”である。

 とはいえ、当時のぼくは会社員という一企業の歯車だ。
 今までのような授業スタイルなら休みの日に消化すれば支障はないが、留学となると仕事との両立はどう考えても無理だ。しかし、どうせ行くなら一定期間はそれに使いたい。
 それに、それ相応の費用も発生する。滞在期間にもよるだろうが、最低でも劉備が母のために買ったお茶の代金くらいは見ておかないとマズいだろう。

 晩御飯のメニューを考えながらスーパーをうろつく主婦くらいのテンションで悩みに悩んだ挙句、もう仕事を辞めて飛行機に乗ることに決めた。
 幸いにも当時は実家住まいだったので、貯金はそこそこある。足りなければ親の前でひきつけを起こすほど泣き喚けばいくらかは貸してくれるだろう。
 そのことをルイスに話してみたら、

 「まあ、自分で決めたんならいいんじゃないの?」

 と、実に他人事の感想をいただいた。話し方から察するに、当時のぼくの語学力は関係なく “若いから”“口と足があれば大抵何とかなる”的な見地からだろう。

 で、誰に頼まれたわけでもなく“セルフ海外進出”を心に決めた。基本的にぼくの性格は極端で、やりたくないことは、熟成しないことが分かっていても年代もののワインばりに平気で寝かせるくせに、やりたいと思ったことには先輩に玉子サンドを頼まれた高1の柔道部員以上に迅速な行動をとるタイプなので、色々と調べ物をするべく精力的な活動が始まる(埼玉と東京を中心に)

テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 スペイン語 ペネロペ・クルス サルマ・ハエック ブルーザー・ブロディ ホセ・ゴンザレス メキシコ

#03-勘違いの先

 さて、とりあえず国外脱出を決めたので、これからは準備のために色々なことをしなければならないのだが、まず、勤務先に退社の旨を伝えることにした。すぐに退社するわけではないが、その意志だけでも早めに伝えた方が良いだろう。

 そもそも面接の時は「御社の将来性に期待が持てるから」などとテンプレート臭プンプンの志望動機を述べておきながら、いかにもそれっぽい理由で大した貢献もしないままあっさりと辞めるのだから、雇用側にとっては面倒というか厄介な社員である。
 上司に伝えた時は裏DVDを買った帰り道くらいドキドキしたが、全体的には思いのほかあっさり事が進んだので、実は遅かれ早かれクビになってたっぽい

 とりあえず最も気が重い作業を先に済ませた後は、パスポートの申請に取りかかる。
 ぶっちゃけ、厳密にはこれが無いと100%外国に入国できないというわけではない。実際にパスポートを持っていなくても外国で暮らしている人は世界にたくさんいる。しかし、さすがにそれは何かと面倒なので、ちゃんと法に則った申請手続きする。
 そこで申請にあたり色々な書類を提出しなければならないらしいのだが、ますは身分を証明するものとして住民票とか戸籍謄本とかいう書類がいるらしい。お役所仕事だけあって、自分宛に来たダイレクトメール小学校時代の名札とか、自分の名前を極太マッキーで大きく書いたファミコンのカセットでは“身分を証明するもの”として認めてくれないようだ

 正直、“住民票”とか“戸籍謄本”などとわけのわからないことを言われて何もかもが嫌になり、これからの買い物は旅に備えての日用品や航空券ではなく、練炭とガムテープとレンタカーに変えようかとも思ったが、そこらへんのことは当時市役所で働いていた身内に丸投げすれば良いだけの話だ。長年の悩みが解決し、生きる歓びを改めて知った気分である。

 他にも証明写真が必要らしいので近所の写真屋で “痴漢で現行犯逮捕された男(自称・会社員)”にしか見えない面構えの写真を撮影し、後日身内から「これを黙って担当者に出しなさい」と言われて渡された封筒(この中に住民票とかが入っているのだろう)、そして申請料金など諸々を力いっぱい握り締め、パスポートセンターへ向かった。

 さて、次は旅の手配である。
 この時点では海外に出ることは決めていたものの、まだ目的地は決めていなかった。第一案として、とりあえず行く国だけを決めて学校とか居住地は現地で決めるという方向も考えたが、当時の語学力はウミガメの子どもくらい危なっかしいし、まだ口に小枝をくわえて棒の先に荷物を縛って鼻歌交じりにあぜ道を歩けるほどの旅人ではない

 この時期でも相変わらずのアナログ野郎なので、情報源はNHK発行のラジオ講座テキストの広告である。ここに載せる企業の大半は旅行代理店か留学斡旋業者である。
 見てみると、「スペイン・マドリード留学」だの「サラマンカで本場のスペイン語の勉強してみませんか?」といった文字が並ぶ。そりゃ、スペイン語なのだから行き先の殆どがスペインなのは当然のことだ。

 そんな中、一つの広告が目に飛び込んだ。
 それは見出しこそ「スペイン」という文字が目立っていたものの、

 「スペイン以外にも多数ご用意しております」
 というキャッチが、

 「あくまでも使用者の感想で、効果は個人によって異なります」

 くらいの大きさで書いてあったのだ。国内で複数の都市を案内している業者は他にもあるが、国家レベルで選択肢があったのはそこだけだったので、週末に直接オフィスへ行って話を聞いてみることにした。住所を見ると所在地は東京の浜松町のようだ。

 電話で詳細を案内されて行き着いた場所は、長年浜松町エリアを担当しているセールスドライバーでも迷いかねないほどの路地裏にある雑居ビルだった。
 待っていたのは電話の主と思われる中年男性。電話口から聞こえる声質は毎回同じなので、おそらくこの人が社長業と営業と人事と経理と事務と清掃とお茶くみと戸締りなのだろう。

 中に入るなりテーブルに案内されてから名刺を渡された。見た感じ適職はサービス業というより “無名の芸能プロダクション”とか“昭和のパリーグ”の方が合っていそうだ。似ている有名人を強いて挙げるとすれば、ダン池田以外に思いつかない。


ダン池田
ダン池田
1935年4月11日生まれのバンドマスター。『紅白歌合戦』とか『夜のヒットスタジオ』とかの指揮者とかやってた人。後に芸能界の暴露本を書いて干されたとか。2007年12月25日逝去。


 事務所の場所と“THE・雑居ビル”な室内の空気、この人の見た目では“胡散臭い”以外の言葉を連想できないが、とりあえず物腰も柔らかいしこちらの要望にも親身になって聞いてくれたので、全体的な印象は悪くなかった。恐らく“あのNHKが発行する媒体に悪い会社が広告を出稿できるはずがない”と信じていたからだろう。

 そこはスペインの他にも、メキシコ・グアテマラ・コスタリカの学校を紹介できるらしい。大まかな金額を聞いたら、どこもスペインより安い。やはり物価や国力とかも関係しているのだろうか。
 とりあえずグアテマラとコスタリカは、ベネズエラやプエルトリコ同様国の知識が殆どないので値段に関係なく選択外だった。やはりある程度情報を持っている場所に行きたかったので、行き先はスペインとメキシコに絞られた。

 その場では結論は出さずにその後もいくつかの業者からスペインの方を見積ってもらったのだが、予算的にはどこもリアルだ。今回の貯金は単純に留学費用だけではなく、帰国してから次の仕事が見つかるまでの生活費もある程度考えなければならない。そうなるとこれらの金額では、滞在中は何も挟まないサンドイッチだけで過ごさなければならなそうだ。

 この時点でのオッズはメキシコがやや有利。
 何と言っても学費がスペインより3割ほど安いし、国の情報はそれなりにある。さらに知りたければルイスに聞けばいい。
 ただ、やはり本格的にやるのなら、正式とされているスペインに行った方が確実な気もするのも確かだ。詳しくは知らないが、日本語でも東京と大阪ではイントネーションやボキャブラリーが異なるように、同じスペイン語も発音とか言い回しに微妙な違いはあるだろう。
 
 そして会員制サイトのIDを決める程度に悩んだ結果、行き先はメキシコに決めた。
 ルイスに聞いてみたら、やはりスペインとメキシコでは若干の違いがあるものの、基本は同じだからあまり問題ないとも言うし、何よりも学費も現地の物価がスペインよりも経済的も安いというのが大きかった。

 そして後日、再びあの “THE・雑居ビル”へ向かった。詳細を聞いてみて問題がなければその場で契約する心構えはある。

 まず学校は大学とかではなく民間の語学学校で、場所は首都のメキシコシティから車で1時間ほどの距離にあるクエルナバカという都市のとのこと。何でもそこは一年中温暖な陽気で過ごしやすく、週末には近隣住民も避暑を目当てに訪れるらしい。他にも色々説明してくれたが、ここ以外の選択肢はないようなのでイエスもノーもない。

 そしてメキシコまでの行き方だが、希望出発日の便だと一度ロスアンジェルスでメキシコシティ行きの飛行機に乗換えをしなければならないとのこと。乗換えは即日で、LAにいる時間は2時間もないらしい。かなりタイトなスケジュールに感じるが、基本的にアメリカには用はないので目的地に早く着く方がいいに決まっている。

 また、現地での宿泊先は、学校の近くの家にホームステイをするか、学校の敷地内にある寮のどちらかが選べるようで、ホームステイの方が若干割高らしい。
 これはどちらでも良かったのだが、ホームステイだったら身寄りのない年収一兆ドルの老資産家の家に割り当てられて、ひょんなことでそこの主人に気に入られて遺産を相続できる可能性がある。確率で言えば「そういう家に割り当てられる」or「割り当てられない」50%、それに「相続できる」or「できない」25%、100歩譲って「そういう家がある」or「ない」を入れても12.5%だ。寮だとハナから0%なので、12.5%に差額を投資することにした。

 それに、別途費用はかかるが空港から学校までの送迎サービスもあるという。
 たとえ言葉を少々かじっているとしても、初めて行く異国の空港から目的地に一人で行くという行為は、今から経団連の会長を目指すくらい非現実的な話なので、お願いすることにした。

 その後は保険や為替、時差、治安などを確認し、申込書というか誓約書みたいな書類にサインをする。これで後戻りはできない。

 相応の金額を振り込んでから数日後、家に封筒が届いた。
 中には、出発から帰国までの簡単な予定表、航空券の引渡しに必要な用紙、アメリカとメキシコの入国で必要な書類などが入っていた。既にパスポートは手元にあるので、これでもうお巡りさんに「コラッ!」と頭をゴチンされることなく大手を振って旅が出来るわけだ。



テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 ダン池田

#04-準備と出発

 さて、時は経ち出発日まで残り数日となった。
 この時点では既に仕事も辞め、現地で必要であろう日用品や旅行グッズ、向こうでお世話になるホームステイ先に贈る“THE 日本”的な土産などを買い揃えるなどの準備に明け暮れていた。

 一通り準備も整い、数日後に出発が迎えていた矢先、かなり重要な案件が進んでいないことに気づいた。


 「そういや、現地でどうお金の管理すりゃいいんだ?」


 これが一週間程度の貧乏旅行だったら財布の中のお金だけで済むかもしれないが、今回はそれなりの期間を過ごすことになっているので、かかるであろう生活費を全て手持ちで持って行くわけにはいかない。
 で、とりあえず諸々のお金は地元の信用金庫の口座に入っているが、どうやら対応のATMはメキシコにはなさそうだし、かといって日本にメキシコの銀行の支店があるとも思えない。
 
 まあ普通の人なら、「だったらクレジットカードを持って行けばいいじゃん」というたわけた意見をのたまうのだろうが、この頃のぼくはクレジットカードとやらはやたら敷居の高いアイテムとして認識していたばかりか、「クレジットカードを持つ=すぐに破産してサラ金の世話になる」と信じて疑わなかったので、そんなものを持つという選択肢は持っていなかった。

 なので対策を色々調べてみたところ、何でもそういう人のためにトラベラーズチェックというシステムがあるらしいと風の便りで聞いたので、早速銀行に聞いてみた。

 銀行員「いらっしゃいませ」
 ぼく「すいません。トラベラーズチェックについて聞きたいんですが」
 銀行員「トラベラーズチェックに関してのお問い合わせですね」

↑説明を聞いてい様を表す線

 銀行員「……と、これがトラベラーズチェックのシステムです」
 ぼく「なるほど。ということは、これは郵便為替みたいなものですね?」
 銀行員「いや、為替といいますか小切手のようなものでして……」


↑更に説明を聞く様を表す線

 ぼく「……ふむふむ。ということは、やはり小切手というか郵便為替みたいなものですね」
 銀行員「…いや、ですから、もう一度初めから説明しますと……」

 というやりとりをしていたのだが、何故だかこの人の説明を聞いているうちにだんだんと腹が立ってきたので、何も解決することなく銀行を後にした。

 他に何か方法はないものかと思っていたら、“旅行業界のダン池田”の言葉を深く思い出した。

 「何でも噂では、シティバンクという銀行にお金を預けると良いらしいですよ」

 エンディングにも影響する重要な旅のヒントだったが、どうやらシティバンクとかいう銀行は世界規模に出店しているので、一度口座を開設してしまえばどこからでも簡単におろせるという。

 早速問い合わせたら、開設出来なくはないのだが、申し込みから開設まで最低10日はかかると言うのだが、はっきり言って出発は数日後なので、どう考えても間に合わない。
 こんなことになるなら、無地のTシャツ一枚を買うにもユニクロかGAPで悩まなかったし、歯ブラシの色を青にするか白にするかで迷わなかったし、新曲のメインコードをFにするかF#にするかでメンバーと延々話し合っていたこともなかっただろう。

 本当に手は尽きたので、ダメ元で親にクレジットカードの貸与を頼んだら「おまえ、なめてんのか?」と一蹴されてしまった。


 そして最終的には、シティバンクの口座の手続きを続行し、カードを後からメキシコまで送ってもらうことになったのだが、お届け日数は未知数なので、“1万や2万どころではない当面の生活費を現金で持参する”という城南電機の社長スタイルでの移動を余儀なくされた


  そして出発当日。天気は見事な曇天。洗濯指数は20%くらいの絶好な“家で読書日和”である。

 出発時間は夕方で、国際便は2時間前までに搭乗手続きをしなければならず、自宅から空港までの所要時間は2時間強ということで、昼過ぎに家を出た。空一面に広がる雲は、朝より厚みを増していた。
 祖国の土にしばしのお別れをしつつ、新東京国際空港に到着。“成田にあるのに『東京』って…”という手垢が付きまくったおもしろギャグに人知れず失笑してみる。
 それはそれとして、出発日は週末ではあるがバカンスの時期ではない普通の日だ。それにもかかわらず沢山の人が同じ空間を行き来している。大きい荷物を抱えた外人一家、ロビーでノートPCを広げているビジネスマン、パック旅行らしき初老の集団…。そして電光掲示板を見ると、行き先には世界各国の主要都市の名前が多数連ねている。とりあえずこの日だけで、これだけの人数がこれだけの場所へ向かうわけだ。地球は広い。

 ぼくの場合はまずLAを目指すべく、指定の航空会社のブースでチケットを交換する。
 一通りの手続きを済ませると、鼻声気味の受付のお姉さんから予想だにしない驚愕の事実を告げられる。

 天気だか整備の事情だかは知らないが、予定より2~3時間遅れで出発するというのだ。

 こっちの予定ではLAでの乗り換え時間は2時間もない。そしてこの便が遅れたからといって次の便の出発時間が変わるわけではない。ということは、ここで2時間以上遅れれば確実にメキシコシティ行きの飛行機に乗れないわけだ。そうなると、最悪帰国日まで空港から一歩も出ずに、通行人からメシを恵んでもらわなければならないということだ。

 「そうですか。出発時間を遅らせるとはよほどのことが起きたのでしょう。乗客のことを第一に考えた上での決断なら仕方がありません。予定が遅れてしまうのは確かに困りますが、人生とは思い通りに行かないものですから」

 表面上は聖人君子な態度で留めてはいるが、内心では、

 「キャー、どうしよう? メキシコに行けなくなっちゃった。ちょっとアンタ、何してくれちゃってんの? 何とかしろよ、こっちにだって都合があるのによ。すぐ飛べ! 今飛べ! じゃないと警察呼ぶぞ! うおおおおおお! サイラーーース!

 と、非常に狼狽していた。

 のっけからこれでは幸先も縁起も悪すぎる。というか、平然とそんなことを言われても普通に困る
 そんなぼくの心理を見破ったのか、お姉さんは旅のヒントを教えてくれた。

 「旅の人、知ってますか? LAの空港の当社のブースで事情を話せば代わりの便に乗れるんですって」

 航空会社の見解は、とりあえずこの件は弊社の不手際で、こんなときは大抵その場で代替便の手配もするものなのだが、少なくともLA発メキシコシティ行きの便に関してはまだフライトの調整が不明瞭で手配は出来ないから、LAの空港の弊社のブースで事情を話して代替便の手配をお願いすること、そしてこの手のトラブルはアフリカではよくある事ということのようだ。

 それにしても、今回の旅は実質初めての海外脱出で一度たりとも一人で関東すら脱出したことがなく、「お箸もお付けしますか?」と聞かれるのが嫌だからコンビニの弁当が買えないほど他人とのコミュニケーションが苦手なこの俺様が、地球という天体のイニシアチブを握っていると信じて疑わないアメリカという大国で、

 “シュワちゃんが妊娠した”
 とか、
 “孫悟空は高校生”

 などと日刊ゲンダイ級のデマを世界中に言いふらすような人種を相手に、英語という世界で最も尊い言葉とアメリカ人が勝手に思い込んでいる言語で、

 「前の飛行機が乗り遅れて次の便に乗れなかったので、別の飛行機に乗せてください」

 などと伝えなければならないなんて、神様はナニユエぼくに無茶な試練を与えるのだろうか。こっちは生まれながらの無神論者なのに。 
 とはいえ、どうあがいてもぼくにはそれしか選択肢がないようなので、いったん手荷物以外の荷物を預けた後、精神を落ち着かせるため喫煙所で紫色の煙をくゆらせる。

 するとすぐ近くで、学生らしき男女7人秋物語な集団がガイドブックを読みながらキャピキャピはしゃいでいた。表紙を見た限りではこいつらはバリ島に行くようだ。
 どうせビーチで水をバシャバシャかけ合ったりバナナボートに乗ったり、砂浜に名前を書いて波に消されたり、男性ストリッパーのビキニパンツにドル札をねじこんだり好奇心でマジックマッシュルームをかじったらバッドトリップしてブタ箱にブチ込まれるような旅行。に決まってるそうでも想像しておかないと、とてもじゃないがみたされない。

 というか、こいつらは何かあっても誰かが何とかしてくれるだろうし、仮に埒があかなくても一人じゃないから心強いだろうが、こっちは頼る者が誰一人としていない孤高のエセ旅人。目の前を行き交う人々は全員他人。唯一のトモダチは口にくわえているタバコだけである。

 さて、飛行機は“予定通り”3時間遅れで出発した。窓から見える外の景色は薄い闇に覆われていて、雨も降りだした。
 今頃自宅では、ぼくがいないことをいいことに銀座アスターあたりで高級中華でもつまむ計画を立てているのだろう。相変わらずLAに着いたときの不安が脳内を独占していたので、こんなことしか思いつかない。



テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 サイラス シティバンク 日刊ゲンダイ メキシコシティ 成田国際空港

#05-舞い降りた天空人と更なる試練

 不安に加えてニコチンも早々に切れた挙句、寝てたのをいいことに機内食を一食分逃したり、外人のCAに水を頼んだら白ワインとミックスナッツが出てきたり、前の席の客にMAXまで背もたれをリクライニングされても、見た目が安岡力也ばりに怖そうな人だったので丁重に泣き寝入りするなど、快適とは程遠い空の旅を満喫していたら、どうにか第一目的地であるLAに到着。ただでさえ大恐慌の株価の角度で心は落ちているのに、「前の飛行機が乗り遅れて次の便に乗れなかったので、別の飛行機に乗せてください」と本場のお姉さんに伝えるという、神が与えた試練をぶつける時が来た。


ロサンゼルス国際空港(イメージ)
ロサンゼルス国際空港(イメージ)


 しかしその前に、何はなくとも一服である。十数時間ぶりのタバコだけあって、煙を吸いこんだ途端に頭がクラクラした。
 すると、初老の日本人の集団が同じく一服しにやって来た。
 彼らは同じ飛行機に乗っていたパック旅行の集団である。機内での接点はかったが、

 「着いたらヒルトンで乾杯しよう」
 とか、
 「遺跡巡りが楽しみ」

 などとこっちの気も知らないで危機感ゼロの発言を連発していたので、オリジナルの“絶交リスト”にヤツらの名前を書いてやろうと本気で思っていた記憶がある。

 所詮は他人なので特に目も合わさなかったのだが、なぜか向こうから話しかけてきた。他人でも外国での同胞は心強く見えるのだろうか。

 初老A「お兄さんはこれからどこへ行くんだ?」
 ぼく 「ああ、メキシコです」
 初老A「一人でか? 旅行か? 仕事か?」
 ぼく 「一応留学というか、言葉を勉強しに行く感じですね」
 初老A「おお、そりゃすごいな。若いうちはアレだ、色んなことを経験した方がいいぞ」
 初老B「そうだ、そうだ。昔は海外旅行なんて夢のまた夢だったけど、今じゃ国内旅行より安くなって……」


 ……はっきり言ってそんな会話に付き合っている場合ではないのだが、精神は未だ安定していなかったので、二本目に火をつけた。
 
 初老C「おー、そりゃあ偶然だな。俺たちもメキシコだ。ツアーで遺跡を周るんだよ。だけど成田で出発が遅れて次の飛行機に間に乗れなかったもんだから、今ガイドさんが別の便の手配をしてるんだよ」

 こういうトラブルが起きても責任者が対処をしてくれるツアー旅行の利点に心底嫉んでいたその時、初老Aの目が光った。

 初老A「あれ? もしかして兄さんも●時のメキシコシティ行きの飛行機に乗るはずだったんじゃないか?」
 ぼく 「はあ、そうなんですよ。だから航空会社に事情を説明しないといけないんですよ……」


 するとその集団はにわかに騒ぎ出した。そして「チケット見せてみな」というので言われるがままに差し出すと、容疑者のアリバイを崩した刑事さんのような不敵な笑みを浮かべた

 初老A「思った通りだ。やっぱり俺たちと同じ便だ。よし、これからガイドさんに兄さんの事情を話してやるよ」


 ……何だって!?


 なんだか事態は予期しない方へ向かいそうだ。

 初老C「ああ、その方がいいな。ガイドさんも兄さんの分も手配してくれるだろ?」
 ぼく 「いや、でもぼくは関係ないですし……」
 初老A「(さえぎるように)いいんだよ。向こうだってこの旅行で結構な金をふんだっくってんだからそれぐらいしてくれてもいいだろ?」
 初老B「そうだ、そうだ。昔は海外旅行なんて夢のまた夢だったけど、今じゃ国内旅行より安くなって……」


 ぼくの意思は不在のまま、話は勝手に進んだ。
 早速皆で添乗員さんのところに行き、ガイドさんに事情を話した。
 するとガイドさんはいやな顔一つせず、ぼくの分まで手配の代行をしてくれた。


 なんて素晴らしい人たちだ! 

 日本人の気質最高! 人情って素敵! ビバ(すばらしい)、 団塊の世代!

 そして、絶交リストに名前を書いてやろうと本気で思ってごめんなさい!

 お世話になった方々に深く礼をした後、その一団は別の場所に移動した。


 その後は空港内で適当に時間を潰していたら出発時間も近づいたので所定のゲートに向かうが、代替便の搭乗ロビーは空港の端っこの端っこ。オフィスで言えば窓際族が顔半分が日焼けしそうな場所だ。


 そうこうしている内に飛行機は準備が整ったようで、搭乗手続きが始まった。
 機内に入ってみると、ここまで来るときに乗ったジャンボジェットとは比べ物にならないほど小さい上に、乗客の数もかなりまばらだ。
 自分の席の上の荷物入れに手持ちのデイバッグを入れていたら、さっきの初老集団が離れた席に座っているのが見えた。目が合うと笑顔で手を振ってくれたので、お辞儀で返した。「席が開いてるからお兄さんもこっち来いよ」とまで言わないところを見ると、所詮は他人なのだ


 まあそんなことはともかく、あと数時間もここに座っていれば勝手にメキシコに着く。目的地はあと少しだ。
 そんなことを思っていたら機体は轟音を立てながら、あっという間に雲の中へ潜って行った。

 しかし離陸して2時間ほど経った頃、シートの上にある「死にたくなかったらシートベルトを締めろランプ」が点灯し、何やらアナウンスが流れた。英語もスペイン語も大してわかっていないので何を言ってるかはわからないが、周囲の反応からするに、どうやらこれから着陸態勢に入るようだ。

 確かダン池田似の旅行代理店の人は、「LAからメキシコシティまでの所要時間は3時間」と言っていた。
 あの人が「毎朝ドンブリ飯を20杯食べる」とか、「CIAの友だちがいる」といった虚言癖の持ち主でないとすれば、到着にはまだ早い。しかし機体は徐々に高度を落とし、窓から見える地上の景色が徐々に大きくなるのがわかる。

 視界に入る外観はさっき見たアメリカとは趣が異なるので、少なくともメキシコ国内には入ったようだが、はっきり言ってここがメキシコシティだという確証はない。メキシコシティの規模は国内ではもちろんのこと、ラテンアメリカという枠で計っても最大級だという。しかし視界に入っている景色はかなり閑散としていて大都市の面影はない。むしろ郊外そのものである。
 とはいえ、成田空港の例を挙げるまでもなく空港が市街地にあるとは限らない。もしかしたらここはメキシコシティの郊外という可能性もある。

 一度飛行機を降りて、進むがままに待合ロビーへ案内される。確かにここは空港には違いないが、やはり成田やLAの国際空港と比べると、外観も設備もかなりこじんまりしている。

 ふと遠くを見たら、さっきの初老集団が行列の尻尾に並んでいた。その先では、同じ飛行機に乗っていた現地の人らしき乗客が、係員らしき人にパスポートとか書類を見せている。そして初老集団の顔には「ここで手続きをしければいつするんだ?」という自信がみなぎっている。やはりここがメキシコシティなのだろうか。

 釈然としないままとりあえず並んでみること数分、“THE・善人”ことさっきの添乗員さんが慌てて駆け寄ってきた。

 「ここで出国手続きをしないでください! ここはメキシコシティではありません!」


 ふざけんなよ、このトンチキどもが! 
危うくこんな辺鄙な田舎で降りるとこだったじゃねーか


 どうやらここは、乗ってた飛行機が小型機ゆえに燃料がメキシコシティまで持たないらしいので、給油をするために寄った中継地らしい。LAでの感謝はどこへやら、さっきまでのぼくの中での彼らの地位は“空から舞い降りた天空人”だったのだが、これを機に“給料泥棒”になった。
 因みにあそこはどこだったのかずっと気になっていたのだが、どうやらMANZANILLO(マンサニージョ)とかいうところだったらしいことが判明した。

MANZANILLO(=マンサニージョ)の位置
MANZANILLOとメキシコシティの位置(クリックで更に大きくなります)


 ご覧の通り、メキシコシティまでは優に500kmは離れているので、もしここで降りていたらリアルにエラいことになっていただろう


 とりあえず給油も終わり機内に戻ったはいいが、実は別の問題が未だ解決されていないことが気になっている。

 そういえば空港から学校までの送迎サービスをお願いしたはずだが、スケジュール的にはこの時点で5時間は遅れている。当初の予定では現地の夕方頃に到着する予定だったが、このままでは早くても現地時間で夜の9時過ぎだろう。いくら時間にアバウトなメキシコ人でも、5時間も人を待っているものなのだろうか。

 ここが日本なら、電報で、
 「トウチャク ゴジカン オクレル」
 と打つか、新聞のたずね人の欄に
 「昌夫 全て解決しました 早く帰ってきて 母・由紀子」

 と掲載すれば万事解決だが、何度も言うようにここはメキシコ。携帯電話もイラン人から買ったテレカも持っていないので連絡のとりようがない。最悪の場合、夜中にメキシコから学校まで一人で向かわなければならないことも念頭に置いておかなくてはならないだろう。

 しかし、世界でもかなり治安の良い場所とされる東京ですら、夜遅くまで遊んでいると悪い奴にだまされて肝臓を売られるともっぱらなのに、夜の異国で大きな荷物を抱えながら公共の乗り物を乗り継いで目的地へ向かうなんて、リスクが大きすぎる。


 そういえばルイスが出発前に、空港からクエルナバカまでの行き方を教えてくれた。彼の故郷であるアカプルコはクエルナバカからさほど遠くないので(それでも陸路で4時間はかかるらしいが)、何度か行ったことがあるという。

 「空港からタクシーで××というバスターミナルに行け。そこからならクエルナバカ行きのバスがたくさん出てる。そしてクエルナバカに着いたらターミナルでまたタクシーを拾って、運転手に学校の住所を見せるんだ」

 ……うーん、バスターミナルの名前は思い出せないが、何…とか……、なる…かな?
 
 「ただし、空港には法外な料金をふっかけてくる白タクがいっぱいいるから気をつけろ! 特に日本人は狙われやすいから、声をかけられても絶対についていくんじゃないぞ!」


 ……ルイスよ、ぼく、もう疲れたよ。
 何だかとっても眠いんだ。




テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 MANZANILLO マンサニージョ ロサンゼルス ロサンゼルス国際空港 メキシコシティ国際空港

#06-おいでませ、メキシコ

 「かれこれ到着時間から5~6時間は遅れているが、果たして送迎スタッフの人はまだ空港にいるのだろうか」 

 そんな不安にさいなまれつつ窓の外を見ていたら、やがて街の夜景が見えてきた。
 視界に果てしなく広がる光の粒と独特な街並みを俯瞰で見て、ようやくメキシコシティに到着したことを実感させる。
 高度は徐々に下がり着陸態勢に入る。というか、ここの国際空港は市街地のド真ん中にあるようで、何だか民家に向かって墜落するかのようなスリルだ。

 入国手続きを済ませて荷物をピックアップした後、無愛想な係員に「あそこに行け」と促されたので行ってみると、そこには大きな機械があった。信号機のように大きな赤と緑のランプが付いているのだが、何だこりゃ?

 「ボタンを押せ」と言われたのでとりあえず押してみたら、赤が点灯した。

 すると、「バッグの中を開けろ」と言うので中を開けた。どうやら荷物チェックらしく、係員は自分の手を中に入れて適当に中をこねくりまわすものの、何かを見つけようとする意気は一切伝わらず、ただ適当にあさったらすぐに閉めて、「あっちへ向かえ」とドアの方を指差した。

 結局、何が何だかわからないモーションだったが、後から聞いた話によるとあの機械は手荷物チェック用探知機で、ボタンを押すとランダムで赤か緑が表示され、緑ならそのままスルー、赤だったら中身をチェックされるシステムらしい。しかもその基準は機械が特別なセンサーとかで判断するのではなく、どこかで監視してるおっさんが遠隔操作で適当に決めているだけのことらしい。

 不快なほどに無意味な審査を終えてドアを開けると、そこはお出迎えロビー。夜も遅いというのに有象無象の人でごった返している。
 確かにスタッフの送迎は頼んだが、まさかこんなに来るとは思わなかった。送迎スタッフでこれだけいるのだから、学校の規模は先進国の国立大学以上では? ……というのは長旅の疲れによる勘違いで、他の人は他の人を待っているようだ。

 それはそうと、とにかく学校のスタッフを探さなければ。いなければいないですぐにタクシーなりリムジンなりチャーター便を手配しなければならないのだから。
 全盛期の中田英寿を髣髴とさせる視野の広さを集中力で辺りを見回すと、ぼくの名前が大きく書かれたプラカードをWWEの観客のようにオーバーアクションで頭上に掲げる女性を発見した。この人が学校のスタッフで間違いはないだろう。無関係の人がそんなカードを持っていたとしたら、確率的に神がかり過ぎる。時間にアバウトな国で助かった。

 まずはたどたどしいボキャブラリーで遅刻をわびる。相手は英語で話しかけてくるので何を言ってるかはよく分からなかったが、状況的に「遅かったら心配した」と言っていることにした。この状況で「今日はいい天気ですね」とも「郵便局はどこですか?」とも言わないだろうし。ただ、「大人なんだから、遅れるなら連絡ぐらいしろよ。このゴクツブシが!」本音を吐いた可能性もあるが。


 すぐさま「マネー、エクスチェンジ、OK?」と言われて思い出した。持ち金を現地通貨のメキシコペソに換えなくては。
 早速近くの両替所で交換する。さすがに治安の悪い国の空港で1万や2万じゃない金を全て替える行為は自殺行為だとは承知しているが、今は最小限の額だけにしておいて、後日滞在先の近くの銀行で残りを換金できるのは面倒なのでここで全てを変えることにした。

 この行為に、スタッフさんの表情は明らかにこわばった。まるでイボガエルの轢死体を見るかのような目つきでぼくを見つつ、周囲を警戒している。


 「わかってるよ! こっちにだって事情があんだからしょうがねえだろ!」


 そう言ってやりたかったが、そもそも今回の旅の目的は、言わばそのような文句をスペイン語で話せるようになるためであり、そして空港で1万や2万じゃない持ち金を全て換金しなくても済むようになるためでもあるだから、仕方がないことだ。

 換金を終えてから「けっこう時間がかかったわね」みたいなエスプリをハバネロ以上に利かせたジョーク(皮肉)をにこやかにぶちまけるスタッフさんは、いやにドイツ人みたいな顔立ちだと思ったらオーストリアの人だそうだ。“オーストラリアとよく間違われてそうな国”の情報だけでは話題が広がりそうもなかったので、そこにはあまり触れなかった。

 彼女に案内されるまま駐車場へ行くと、運転手らしきメキシコ人男性がぼくらを見つけて手を振った。結果的にその日以来一度も会わなかったので名前は覚えてないが、どうせカルロスかホセのどっちかだろう

 車中でも何かと話しかけてくれるが、ただでさえスペイン語は未だたどたどしく、且つ英語はちんぷんかんぷん。しかもアリナミンAとユンケルを7ガロンずつ飲んでも疲労が取れないほど憔悴しきっていたので、何を言ってるのかほとんど分からない。多分「メキシコは初めてか?」とか「日本から来たのか?」と言ってるっぽかったので適当にアタリをつけて返答したものの、半分以上は見当違いの返答をしたようだ
 そんな的外れの返答をするたびに二人は呆れたような顔で見つめあうのだが、そういうリアクションはリアルに心に突き刺さるので、やめていただけないだろうか

 しばらくして「疲れてるだろうから着くまで寝たら?」と促された。今のぼくにとっては実にありがたいお言葉だが、そのやさしさの99%以上は「オメエと話しても会話が成立しないから、とりあえず寝とけ!」だろう。

 確かに疲れてはいるが特に眠くはないので、薄目で窓の外の景色を眺める。

 アルファベットだらけの看板、日本では見たことのない車、日本とは明らかに異なる造りの建物、道路沿いに並ぶ露店、小さな教会などが闇にまぎれて次々と視界に入ってくる。

 カーラジオからは早口のスペイン語が聞こえ、DJのトークの合間に軽快なリズムの音楽が流れる。音楽に合わせて歌手が声高らかに熱唱すると、それに合わせてスタッフさんとカルロス(かホセ)も口ずさむ。メキシコでは有名な曲なのだろう。

 少しだけ開いている車の窓からは、日本とは少し趣の違う喧騒の音が耳をくすぐり、それと同時に別の意味でのメキシコ名物である強烈な排ガス臭がぼくの鼻を刺激する。

 ああ、確かにここはメキシコだ。本当にぼくはメキシコへ来てしまったのだ。
 ここに着くまでにあんなことやこんなことがあった。しかし、着いてしまえばどれも思い出でしかない。



 ……と、せっかく人がそんな感慨に耽っているのに、スタッフさんとカルロス(かホセ)はさっきから必要以上に互いの手をスリスリしたり、渋滞で止まっては見つめあって微笑んでみたり、信号待ちの度に小鳥さんのようなキッスを交わしている。外国の文化や風習はよくわからないが、これはメキシコ式の客のもてなしのだろうか?

 これがウェルカムドリンクなら“おいしい”とか“喉を潤す”というメリットがあるが、さすがにこのウェルカム・イチャイチャただただしゃらくさいだけで、もてなしの要素はあまり伝わらない。というか、この男は学校のスタッフじゃなくて、単純にスタッフさんのイロ(とても失礼な俗称)か? どうりでこの日以来顔を合わせなかったわけだ。

 この一連の行動は、どうせぼくがもうすっかり夢の中にいると思っているからやっているのだろうが、人が寝てる隙にそういうことをしようと思った以上は、せめてバックミラーとかでぼくの動向を確認するくらいの注意力は持ってほしいものだ。まあ一定のレベルを超したら即座にその握ってるハンドルを背後から思いっきり右に切ってやるが。

 そんな感じで後部座席に揺られていたらいつの間にか本当に眠ってしまったらしく、ふと気が付くと外の景色はさっきの都会的な要素は一切ない、閑静な住宅街が見えた。
 さらにしばらく走ると、車は一軒の家の前で停車した。どうやらここがぼくのねぐららしい。暗くてよく分からないが、とりあえず庭も家もかなり広そうだ。
 スタッフさんがチャイムを押すと大柄なおばあさんが出てきて、「やっと来たのかい? 遠くからよく来たね」的な態度で出迎えてくれた。
 早速部屋に案内される。8畳はありそうな広い部屋だ。ベッドと机とクローゼットだけのシンプルな部屋だが、今のぼくにはこれで十分だ。

 するとおばあさんはぼくをリビングに案内した。夜食を用意してくれたらしく、テーブルには細かいマカロニと野菜がたくさん入ったスープとコーラが置いてあった。

 そうそう、食べる前にお土産を渡さなくては。何せここで当分の間お世話になるのだ。まあイヤらしいことを言ってしまえば、ホームステイ代を旅行代理店に払っているのである程度のもてなしをしてもらわないと筋が通らないのだが、日本人として義理を欠いてはいけない。
 果たして“神社仏閣の写真集”が土産に適しているかはやや不安だったが、

 「ありがとう、私は日本が好きだから嬉しいわ」

 と言ったような気がした。

 そして初めてのメキシコの家庭料理に手をつける。美味い! 何せ空腹という最大の調味料が入っているから、要は何を食ってもうまい。あっという間に平らげた後、シャワーを浴びて部屋に戻った。

 とりあえず窓を開けてみたら、冷えた風が肌を刺激した。ここは一年中温暖な気候と知らされていたが、まるで夏の高原にいるかのような涼しさだ。
 耳をすませば、川の流れる音と虫の声しか聞こえない。何と静かで平和な時間だろうか。

 ベッドで大の字になる。
 約1日ぶりに体を横にできる歓び、ようやくゴールに着いた安堵感、そして本当にメキシコへ来たという最初の目的を果たした達成感、明日以降の期待と不安……。色々な感情が全身を突き抜ける。



 ところでこの家は確かに大きいが、さすがに1兆ドルは持ってなさそうだ
 なので相続額を100万ドルに下方修正することにした。



テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 ロサンゼルス国際空港 メキシコシティ国際空港 オーストリア人 スペイン語 Cuernavaca クエルナバカ

#07-放置プレーと不意の来客

 朝の8時頃、ドアのノックの音で我に返る。
 夕べはかなり疲れきっていたはずなのに眠気は逆に遠ざかっていたままので、実質の睡眠時間は2~3程度だ。恐らくこれが時差ボケというやつだろうか。
 軽く意識が朦朧としていたので放っておいたら、またノックの音がした。どうやら朝食の準備ができたようだ。

 眠気眼でリビングへ行くと、ジャン・ギャバンを髣髴とさせるおじいさんが黙々と料理を食べていた。初対面だが、この人がこの家の主のようだ。夕べぼくが到着したときは、既に寝ていたのだろう。

ジャン・ギャバンジャン・ギャバン(Jean Gabin)
1904年5月17日生まれのフランス人俳優・歌手。フランス映画を代表する名優で、深みのある演技と渋い出で立ちで人気を博す。結婚と離婚を繰り返したり、マレーネ・ディートリッヒと付き合ったことでも有名。代表作は『望郷』『レ・ミゼラブル』『現金に手を出すな』『シシリアン』『ヘッドライト』『暗黒街の二人』など多数。唇がとても薄い。
1976年11月15日逝去。


 「押忍! これからお世話になります」
 と丁重に挨拶をする。とりあえず日本人として義理を欠いてはいけないし、何と言っても100万ドルの資産を相続するための第一歩として、挨拶は必要だ。

 するとおじいさんは握手をしながら、
 「遠くからよく来たな、ここは君の家のようなものだから気兼ねはするな」
 的な反応を示し、また食事を続けた。基本は無表情だが、何だか懐の深そうな老人だ。

 シリアル、ベーコンエッグ、フルーツ盛り合わせ、搾りたてのオレンジジュース、コーヒーという東海地方のモーニング以上に充実した朝食を摂る。実に贅沢なメニューだ。

 食後に皿やコップをキッチンの流しに置き、また部屋に戻って一息つく。


 “……さて、今日は何をしようか”


 今日は日曜日。学校は翌日から始まるので、まだ行く必要はない。
 近所を散策してもいいが、夕べの記憶や窓から見えた街並みから判断するに、このあたりにはパチンコ屋も漫画喫茶もゲーセンもなさそうだ。まあ、繁華街へ行けばそれなりに時間は潰せるだろうが、ここから繁華街までどのくらいかかるかはわからないし、仮にわかってもタクシーとか路線バスを使って行けるほどの行動力も語学力もまだ持ち合わせていない。

 なので、読書なんかをしながら体を休めるのというのもアリだが、この頃は

 “外国語を外国で勉強にあたり、日本語の書物は妨げになる”

 と本気で思っていたので、文庫本はおろかガイドブックすら持参していない。強いて日本語の読物を挙げるとすれば、辞書・旅行代理店に渡された用紙一式・インスタント味噌汁とか医薬品の成分表・タバコに書いてある健康関連の注意書き・財布に残っている日本の小銭くらいである。時間をつぶすアイテムとしては面白みに欠けるものばかりだ。

 とりあえず近所を適当に散策して、後は部屋でおとなしくノートと辞書でも広げようかと計画していた頃、ドアの向こうからおばあさんがぼくを呼んだ。

 ドアを開けるとおばあさんは、ぼくに家の鍵を一式渡してくれた。門と玄関、そしてこの部屋の鍵である。
 その後もいろいろと説明をしているが、早口でよく分からない。しかし、第六感というか本能で言わんとしてることは理解できた。


 「これから夕食前まで私たちは出かけるから、もし家を出るときは戸締りを忘れずに。あと、昼飯はキッチンに置いてあるから、お腹が空いたら適当に食べなさい」


 ぼくはこの家にホームステイでお世話になっているとはいえ、知り合ってまだ半日も立っていない異国の人間に留守番も頼む事の方が驚きだが、今のぼくの状況ならばむしろ誰もいないほうがいいか。

 その後もしばらく部屋でボーっとしていたのだが、気がつくと家には本当に人のいる気配は消えたので、とりあえず外に出ることにする。

 家のドアを開けると、強烈な日差しが肌を刺激する。さすが太陽の国と言われるだけあって、UVの比率は日本より高い。ただ、湿気があまりないので半袖でちょうどいい。個人的にはかなりいい感じの気候だ。

 朝日に照らされた庭を改めて見てみると、思ったとおりけっこう広く、辺り一面には色鮮やかな花々が色とりどりに咲き乱れている。きっとおばあさんの趣味なのだろう。絵葉書に載せても遜色ないほどに手入れが行き届いているではないか。この穏やかな気候に身をゆだねて、この庭を眺めながらビールなんかをかっくらったら、さぞかし至福な時間が過ごせるだろう。

 門を開けて外に出てみる。

 どうやらこの一角はいわゆる高級住宅街に分類されるエリアのようで、周辺の家は全て「ご近所で有名な豪邸」クラスだ。噴水やプールを設置している家もあるし、どの家の車庫にも自家用車が2台は停めてある。メキシコ自体は先進国の仲間入りはしていないが、やはりお金持ちはお金持ちだ。

 住宅街を抜けると、少し大きめの2車線の道路にぶつかった。その向こう側も住宅街だが、家の大きさや建物の年季が、こっち側とは余りにも違いすぎる。おそらくここが富裕層エリアと貧困層エリアの境目なのだろう。日本だと大きな豪邸のすぐ近くにトキワ荘のようなボロアパートが混在したりするが、どうやらこの国では所得に応じて住む場所はきちんと分けるようだ。メキシコは貧富の差がどこの国よりも激しい格差社会の国と聞いていたが、早くもそんな社会事情を垣間見た気がした。

 さらに探索してみると、人が密集しているエリアを見つけた。

 「久々に東京タワー男が現れたか!?」

 と胸を躍らせて走ってみたが、当然のように東京タワーもタワー男もいるわけがなく、そこは青空市場だった。
 道の両脇には生花・果物・チーズ・文房具・おもちゃ・肉・海賊版のCDなど、数多の露店が並んでいる。威勢の良い声をあげて自社商品をPRする店主もいれば、明らかにやる気がなく雑誌を読みふける店主もいる。

 一通り廻ったらこれ以上の発見は望めそうになかったのと、小腹もすいてきたので一度家に帰ることにした。
 キッチンのテーブルに、作っておいてくれたらしい料理がラップに包まれていた。大きめのスライス肉を焼いたやつと、この国ではメインディッシュに必ず添えられるフリホレスというドス黒い煮豆。それにマカロニサラダが昼食のメニューのようだ。

フリホレス
フリホレス(frijoles)
赤線部分のやつがそれ。煮込んだインゲン豆をペーストして汁気がなくなるまで炒めるらしい。どのメキシコ料理にも大抵添えられているメキシコ料理定番のサイドメニュー。



 リビングのテーブルに籠が置かれていて、ここの主食であるトルティーヤというトウモロコシ原料の薄いパン生地が何枚か入っていた。どうやらここにおかずを乗せて食べるのだろう。

 冷蔵庫のモーター音と外から聞こえる滝の音だけが静かに鳴り響く広い部屋で、一人黙々と食べる。肉やサラダはともかく、フリホレスとやらはぼくの口にまったく合わなかったが、かといって残すのも申し訳ないので、リアルに鼻をつまみながら喉に押し込んだ

 とりあえず空腹は満たされたが、相も変わらずすることはない。
 どうしたもんかと考えたところ、リビングに置かれたテレビが視界に飛び込んだ。テレビを通じて異文化に接するのも悪くなさそうなので、電源を入れて適当にザッピングしてみる。どうやらこの家はケーブルテレビに加入しているようで、チャンネルの選択肢はかなり多そうだ。

 しかし、日本でも週末の昼はろくな番組を放送していないように、この国でもいかにもな昼メロとか昔の映画くらいしか放送していない。ケーブルの専門チャンネルも同様で、アメリカの連ドラやアニメばっかりだ。
 それでも所在なさげにボーっと見ていたのだが、満腹と疲労と静かな環境のせいで猛烈な睡魔が襲ってきたので、部屋に戻って昼寝を決め込むことにした。

 それから数時間後、ドアが開く音で目が覚めた。
 一家が帰って来たのかなと思ったが、外はまだ明るい。戻ってくるにはまだ早すぎる。

 しかしそれ以外の音は断続的に続く。大きな足音や何やらイスを引いたような音までもが端々で聞こえてくる。

 というか、この家の門のカギもこの家のドアもぼくが戻った際にしっかりとカギをかけたはずだし、仮にかけていなかったとしても、両方とも簡易オートロックのような構造なので、カギを持っていない限り外側からは開くはずがない。

 にもかかわらずここまで入ってこれるということは……。


 まさか、どどどどど泥棒?



テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 トルティーヤ フリホレス ジャン・ギャバン メキシコ料理

#08- VSメリケン様

<前回のあらすじ>
メキシコ入国最初の朝を迎えたわけだが、家の人は全員出かけてしまって夕食の時間まで帰ってこないらしいし、学校は明日からなので、とりあえず近所を適当に散策した後に家に戻った。
昼食を食べてテレビを見ていたら急激に眠くなったので昼寝を決め込んだわけだが、ドアの開く音で目が覚めた。
しかし、家の人が帰ってくるにはまだ早いし、そもそも家のカギはしっかり閉めたはずだ。
ひょっとしてこれは……



 「まさか、どどどどど泥棒か?」

 直感でぼくはそう思った。
 何せここは日本とは何もかもが違うメキシコだ。決して裕福とは言えない国だけに、白昼堂々富裕層の留守を狙う窃盗団がいても不思議ではない。入国早々、これはかなり一大事だ。

 鍋を頭に被り、竹ぼうきを手にした気分で音の方向へ向かってみる。この家に来てまだ間もないが、それこそ宝石とか土地の権利書でも盗まれたら、役立たず扱いされて荷物と一緒に追い出されかねないではないか。


 目の前を通り過ぎる憧れの先輩にラブレターを渡そうとするシャイな女子中学生ばりにドキドキしながら様子を見ると、確かに見知らぬ女性二人がリビングを占拠している。片方はウーピー・ゴールドバーグとヴィーナス・ウィリアムスを足して2で割ったような人、もう片方はダニエル・カールの姉とウソをついても全員信じそうな感じの人だ。

ウーピーとヴィーナスとダニエル
こんな二人組


 しかもこの二人はかなり図太い神経の持ち主のようで、まるで我が家にいるかのごとくくつろいでいるではないか。しかし、仮にもみ合いになったとしても、何とか退治できそうだ。


 「動くな! この泥棒猫が!」

 犬笛より若干大きいボリュームで一発カマしてやったら、二人の動きは一旦止まった。

 すると事態は意外な方向へ転換する。
 向こうはぼくを見るなり、

 「あら? あなたが今度来るって言ってた日本人?」

 と、握手を求めてきたのだ。
 はっきり言ってぼくはこんなメリケンとは面識は一切ないので、一体何が何やら事態が飲み込めない。
 しかし、ここでアワアワしているのもアレなので、とりあえずここは話し合いの場を持つ。そしてCoolに自己紹介だ。


 「私は常にお客様とのコミュニケーションを心がけ、営業職に勤めて参りました。全ての成果はお客様との綿密なコミュニケーション、お客様の気持ちを汲み取るところにあると考えております。お客様の情報をダイレクトに連携してきた結果、顧客満足度一位を獲得することができました」


 脳内ではこれくらいのボキャブラリーで紹介したつもりだが、恐らく向こうには「I’m チョーノ!」程度にしか伝わってないだろう。


 何でもこの二人はアメリカ人でどっかの州から来たらしく、ぼくと同様この家にホームステイをしている語学学校の生徒で、この週末は二人で近隣の都市を泊まりで観光していたようだ。そしておばあさんから事前に、ぼくが来ることは聞いていたのだという。
 
 兎にも角にも、とりあえず泥棒じゃないとわかれば話は早い。ぼくらは平和条約を結び、辞書を片手にしばしご歓談する。アメリカのこと、日本のこと、メキシコのこと、片手間で儲けるアフィリエイトプログラムの必勝法などを語り合った。ぼくは片言で、向こうはネイティブと話す感覚でベラベラと容赦なく。

 そうこうしていたら一家も戻ってきた。
 この日の夕食は、人が増えたこととウーピー(仮名)もダニエル姉(仮名)も既にスペイン語がけっこうペラペラということもあって、とても賑やかな食事になった。
 といっても賑やかなのはその二人とおばあさんが中心で、ぼくは“自分にあまり発言権のないグループで食事をする羽目になった人”として、口は一切挟まずに時折愛想笑いを浮かべる役割を十二分にこなした。そしておじいさんはマイペースにモグモグやっている。

 夕食も終わり席を外そうとしたら、ウーピー(仮名)がさっきの歓談の続きをしようと提案してきた。どうやらこれまでのぼくのスウィートトークですっかりメロメロパンチになったようだ。まあ部屋に戻ってもインスタント味噌汁の成分表を読むことくらいしかすることがないので、”続きをしてやらないこともない”という態度で了承した。
 ダニエル姉(仮名)の方は「じゃあウーピー、また後でね」と不参加を表明し、さっさと部屋へ戻っていった。そういえばダニエル姉(仮名)はさっきの歓談でもウーピー(仮名)ほど積極的に参加していなかった。もう眠いのか、「リメンバー・パールハーバー!」な思想なのか、生理的にぼくを受付けないかのどれかのだろう。


 何でもウーピー(仮名)はメキシコ料理にかなり興味があるようで、入国してから様々な料理を食べたと言う。確かに彼女の体型と手元のダイエットコークを見れば抜群な説得力がある

 そういえばルイス(日本でスペイン語を教わった講師)は言っていたが、確かにこの国の料理はバリエーションが豊富で、タコスのように全国レベルの大衆食もあれば、限られた地方でしか食べられない郷土料理もたくさんあるらしい。味や食材も様々で、辛いもの、甘いもの、こってりしたもの、あっさりしたものなど、実に多種多様らしい。なので、些細なことでいいからメキシコ料理に関する情報を提供してほしいと言い出した。

 とはいえ、この家でメキシコの家庭料理は食べたが、それ以外となるとドリトスのタコス味とかコンビニのブリトーくらいしか食べたことはない。というかそれらは多分アメリカ発だろうし、アメリカ人のウーピー(仮名)はどうせ現地でほぼ毎日食べているに違いない。
 なので、正直に「食べたことがない」と言ってもよかったのだが、なぜか反射的に「こんな料理を食べたことがある」とデマカセを言ってしまった。
 しかし、ヘタに追求されると絶対にボロが出るので、

 「料理の名前は覚えていないし、一度日本で食べただけなので正式なメキシコ料理かはわからないが…」

 とたっぷり保険をかけた上で、脳内で勝手に料理を創造する羽目になった。メッキでウソを固めるとはまさにこのことだ。

 説明するために辞書で該当の単語を探すフリをして時間を稼いだら、「月桂樹と刻みニンニクをまぶした牛肉のスープ」というのが頭に浮かんだので言ってみたら、ウーピー(仮名)「へー」と興味深そうな表情を見せた。


 さあ、これで一安心。そろそろ話題も尽きつつあったので部屋に戻ろうかと思ったその時だ。
 あろうことかウーピー(仮名)
 「本当にそんな料理あるんですか?」

 と、流しで洗い物をしていたおばあさんに真意を確認するという想定外にも程がある行動を取りやがった。

 はっきり言ってこれはまずい! このメンバーでメキシコ料理に関して最も精通しているのは、明らかにおばあさんだ。たとえその料理が実際にあろうとなかろうと、彼女が「知らない」と言ってしまえば、ぼくはこの家でウソツキ野郎にされてしまう。内心では「信用しろよ!」と言いたくなったが、何せこの時点でウソツキなのだから言えるはずもない

 地下帝国で1本5000ペリカのビールを飲む羽目になるか、それとも地上で焼肉を貪るか……。図らずもぼくの運命はおばあさんが握ってしまった。
 「ざわ……、ざわ……」という空気が辺りを支配し、固唾を飲みながらおばあさんの答えに耳を傾ける。果たして答えは……?



 「うーん、あると思うわよ」


 Yes!!!  Hell Yeah!!!  Awosome!!!  Holy Shit!!!


 こうしてぼくの行き先は地下帝国行きは免れた。


 おばあさんの答えをすっかり信用したウーピー(仮名)「見つけたら食べてみる」とご満悦だが、それにしてもアメリカ人てやつは単純だ。そもそもそんな無難な料理は別にメキシコじゃなくてもどこの国にもありそうじゃないか

 明日から始まる学校を前に、メリケン様を手玉を取るとはなかなか幸先の良いスタートだ。

テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 ウーピー・ゴールドバーグ ヴィーナス・ウィリアムス ダニエル・カール メキシコ料理 ドリトス タコス アメリカ人

#09-始めの始まり

 今回の旅の最大の目的である語学学校の授業が今日から始まる。この家名物の充実しまくったモーニングを腹に詰めた後、おばあさんに学校まで案内してもらう。どうやらあのウーピー(仮名)とダニエル姉(仮名)は別の学校に通っているらしく、ぼくが身支度を整えた頃にようやく朝食を摂り始めた。

 おばあさんに案内される感じで5分も歩いた頃、「ここが学校よ」と一軒の大きな建物の前で足を止めた。

 そういえばここの前を昨日歩いた。
 坪数も塀の高さもおばあさんの家よりもはるかに大きいこの建物を見て「いけ好かない成金が建てそうな家だな」と思った記憶がある。まさかここが学校だったとは。
 「じゃあ、また後でね」とおばあさんはその場を立ち去った。

 チャイムを押すと、おととい”ウェルカム・イチャイチャ”で歓迎してくれたスタッフさんが出た。
 色々話しかけてくれるが、相変わらず何を言ってるかはよく分からない。この状況から考えるに、どうせ「昨日はよく眠れた?」とか「もう疲れは取れた?」と言ってることにすれば間違いはないだろう。


 とりあえずはオフィスに案内されて、諸々の事項を確認する。
 まず、授業は週単位で月曜から金曜日までの5日間。一日あたり50分×5時間プラス合間の休憩時間を含めて終わるのは昼の1時半。
 そして講師は基本的に週代わりで、生徒の習得レベルやその時の生徒数、講師との相性を考慮してその都度シャッフルするという。なので、週によってはマンツーマンだったり何人かの生徒と一緒にやることもあれば、人によっては毎週講師が変わったり、逆に殆どの期間を同じ講師から教わることもあるということだ。

 その後、ここで使う専用のテキストと簡単な教材、周辺のエリアガイドブックみたいなのを渡された。テキストを開いてみたところ、いわゆる語学習得にあたって基本的な活用や文法を学ぶようだ。ただ、奥付を見たら竹の子族がブームだった時代に発行したまま改訂も増刷もされてなさそうなのが気になるが。
 

 説明は終了してからオフィスを出ると、その前の庭に人だまりが出来ていた。
 講師らしき現地の人4人(男性2:女性2)と生徒らしき人が3人(男性2:女性1)、そして、いかにも“俺が講師たちの給料を払い、生徒たちに勉強の機会を与えてやっている”というスタンスがモロに顔に出ているオーナーらしき年配のおっさんが、コーヒー片手に談笑していた。きっと授業前のコミュニケーションだろう。

 彼らはぼくを見るなり、握手&質問攻めに合う。

 「ようこそ、メキシコへ!」
 「いつここに着いたの?」
 「何でスペイン語を勉強しようと思ったんだ?」
 「手相に詳しい知り合いを紹介するので、近くの喫茶店でお茶でもいかがですか?」
 「遡ること7500万年前、宇宙はジヌーという邪悪な帝王に支配され、人口が増えすぎたため輸送機で地球まで運搬して……」


 ここは聖徳太子のように一つ一つを丁寧に捌きたいところだが、元来の人見知りの激しさに加えて初めての異国での暮らしで大わらわなので、

 「あー、うー、その件につきましては、何と言いますか、前向きに善処しましてですね、そのー……」


 と返すのが精一杯だった。

 それにしても、民間とはいえ学校を名乗っているのだから、それこそ生徒は世界各国から集まっていて最低でも10人くらいはいるものと勝手に想像していたが、生徒数はぼくを含めて4人で、しかも全員日本人とは全く予想だにしなかった。出来るだけ日本の要素を排除した環境で勉強するためにわざわざ墨西哥くんだりまでに来た面もあるので、少々アテが外れた感じだ。
 とはいえ遠い異国での同胞は何かと心強いはずなので、放課後あたりに昨日買ったオレオとドリトス(買ったはいいが食べるのを忘れてたやつ)で彼らのご機嫌をとるとしよう。俗に言う根回しというやつだ。


 授業の前に、まずは校内の施設を案内してもらうことになった。
 オフィスはオフィスで独立した建物で、その奥には教室と寮の部屋で使う大き目の建物、オーナー一家の住居、住み込みで働いているらしい使用人用の住居、後日談によると、建設途中でオーナーが費用を値切ったことでブチギレた業者が、途中でバックレたために未完成のままほったらかしにされている用途不明の建物などが一つに敷地内に建っている。
 他にもバレーボールコートくらいの広さの中庭や、この界隈のお金持ちには標準装備らしいプールもある。「校内」と書くと大学のキャンパスみたいな構造を頭に浮かべがちだが、ここはどちらかというと「小さな街の4つ星ホテル」とか「田舎の大地主の本家」に近い。

 一通り回った後、簡単なテストをすることになった。
 といっても簡単なのはテストのシステムのことで、要はぼくがどれだけスペイン語のボキャブラリーがあるかを確認するために、日常生活に必要な問題が口頭で次々と出される。講師は「わかるかなぁ~? わかんねぇだろうなぁ~」としたり顔だ。
 
 しかし、こう言ってしまうと何だか手前味噌になってしまうが、ぼくは日本で一日7時間という長時間労働の合間をぬって、ネイティブの講師とマンツーマンで毎週末90分×数ヶ月という殺人的な日程でスペイン語を習得していたのだ。どうやら日本での成果を発揮する時が来たらしい。
 きっと終わった頃には、

 「うへえ、あんたの頭のいいのにはお見それしました!」

 と、涙ながらに土下座するに違いない。



 ……結果、ぼくはこの学校の末端であろう初級コースから始めることになった。そもそもこの学校に明確なコースはないが、要は、

 「おはようございます」

 とか、

 「これは何ですか?/これは本です」

 から始めないとお話にならないと判断したのだろう。日本で消費した時間とお金と脳みその集大成は、思ったほどなかった。

 とりあえず今週は、リカルドというかなり飄々とした中年男性講師とマンツーマンで勉強することになった。

 果たしてどうなることやら。


テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 スペイン語学校

#10-授業と授業のエピローグ

 とりあえず今週は、リカルドという飄々とした中年男性講師とマンツーマンで勉強することになった。そりゃあ、生徒が4人で講師が4人ならマンツーマンじゃない方がおかしいのだが。

 改めて自己紹介をしたり、ここに来た経緯をかいつまんで話した後に、 

 リカ:「Buenos días.(=おはようございます)」
 ぼく:「Buenos días.」
 リカ:「¿Cómo estás?(=お元気ですか?)」
 ぼく:「Estoy bien. ¿Y tu?(=はい、私は元気です。あなたは?)」

 というようなヌルヌルの授業が開始した。

 そして、

 リカ:「¿De dónde eres?(=君はどこの出身ですか?)」
 ぼく:「Yo soy de Japón(=私は日本出身です)」
 リカ:「¿Qué es esto?=これは何ですか?)」
 ぼく:「Esto es un libro(=これは本です)」
 

 みたいことをやっていたら、1時間目が終わるチャイムが鳴り、10分間の休憩に入った。

 中庭のテーブルにバッチリザラハイが置かれているのを見逃すはずがないぼくは早速ポケットからライターをまさぐったが、リカルドから、

 「休憩時間も積極的に講師とのコミュニケーションをとって語学習得を図るべし」

 みたいなことを言われた。確かに他の生徒は積極的に他の講師ともコミュニケーションをとっている。しかし、現時点のぼく語学力をスカウターで計測すればせいぜい4程度しかないので、本音を言わせてもらえば「簡単に言うな!」である。


 すると、ミゲルという別の男性講師が生徒と講師全員に大声で何やら呼び掛けた。ガタイがかなり良くて口ひげにアゴガ真っ青という男性ホルモンが体内で放出しまくりの彼は、どうやら講師間でもリーダー的な存在なようだ。

 何を言うのかと思ったら、


 「親睦をかねてこれから皆でバレーボールをやろう」


 などと松岡修造みたいなことを言いだしてるらしい。

 正直なところ気乗りはしないが、他の皆はけっこうノリノリのようだし、ここで断ろうものなら後々面倒なことになりそうなので“参加してやらないこともない”という態度で了承した。

 早速3人がかりで中庭中央に大きな専用のネットを立て始め、生徒4人VS講師4人というチームが分けると、どこからか持ち出したボールを手に取り、試合が始まる。


 ミゲルは挨拶代わりに本気のサーブをぼくめがけて打ってくる。
 しかし心の準備ができていなかったのでうまく返すことができず、得点は講師組。ヘラヘラしていたら片方の男子生徒から「今のはちゃんとボールを見てたら返せたのに…」真顔でたしなめられた
 てっきり昼休みに会社の屋上でやるようなノリで済むのかと思ったら、部活色がかなり強そうだ。はっきり言ってウザい!


 その後はそれなりに試合が成立してボールが回り始めたが、似たようなヘマをやらかした女子生徒には、「今のは取れなくても仕方ないよ」とフォローしていた。


 何だ、そりゃ?
 往年のドリフのバレーボールコントでもやってんのか?
 


 と、そんな憤りを感じていたら、2時間目開始のチャイムが鳴った。


 リカ:「¿De dónde eres?(=君はどこの出身ですか?)」
 ぼく:「Yo soy de Japón(=私は日本出身です)」
 リカ:「¿Qué es esto?=これは何ですか?)」
 ぼく:「Esto es un libro(=これは本です)」
 

 というような感じで授業は進んだが、どうも次の休み時間にもさっきの続きをやるっぽい空気だったので、自然に回避できる理由を考えることで頭がいっぱいだった。


 そして2度目の休み時間。
 案の定ミゲルは有無を言わせず「さっきの続きだ!」と宣言し、嬉々としてポジションに付いた。
 せっかく考えた「おなかが痛い」「そろばん塾に行かなければならない」「親戚が泊まりに来ている」という絶好の言い訳を伝える間もなく、また強制的にバレーボールに参加させられた。
 このイベント自体は悪いとは言わないが、ただでさえ久々の運動な上に標高が1000mオーバーなものだから、終わってもしばらくは汗は止まらないし呼吸は整わないし、もっと言えばあまり運動が得意でなく決して若くもないリカルドも息が整うまでけっこう時間がかかるので、授業の序盤5分は教室という密室の中で二人して無言でハーハー言っているという、事情を知らない人に何かを疑われかねない事態に陥っているのが実に腑に落ちない。

 しかしそんその後も授業3回とバレーボール2回を消化し、何とか今日の授業を終えた。

 講師たちはさっきまでの朗らかな顔とは一変し、かなり雑な挨拶逃げるようにそそくさと帰る準備を始めた。”お金が発生しない以上は一秒たりともここに長くいる必要はない!”という彼らのワーキング・アティテュードを垣間見た気分だ。

 ぼくもそのまま帰ろうと思ったが、何となく日本人生徒たちと中庭でしばし雑談することにした。何せ3日は日本語を聞かずしゃべらずの状態は人生初なので、日本語に飢えていたのだ。早速賄賂としてオレオとドリトスを振舞ってやりつつ、雑談に参加する。

 どうやらこの3人はほぼ同時期にここに来たようで、滞在期間はまだ2週間程度だという。
 で、さっきのバレーボールでぼくのミスを真顔でたしなめた男性(通称:オッチョさん)はぼくよりもやや年上で、名古屋から来たという。いかにもTHE・体育会系という感じで、中・高・大は部活でモーレツに熱血していたであろう佇まいだ。この人は既にけっこうスペイン語しゃべれるようで、皆とコミュニケーションをとっていたし、講師たちからも気に入られているようで、ポジションは生徒のリーダー的立場を任されているようだ。

 もう一人の方の男性(通称・ヨシツネさん)はオッチョさんよりも年上のようで、彼とは対照的に物静かで温和な印象を受ける。どことなく、民放のスポーツニュースでヨーロッパサッカーを解説させたら右に出るものは見つからなさそうな感じだ。

風間八宏
民放でヨーロッパサッカーを解説させたら右に出るものはいない人



 そして、どことなく鬼嫁キャラ前の北斗晶を思わせる唯一の女性生徒(通称:ユキジさん)はオッチョさんと同い年らしく、日本では”国家資格が必要の方のナース”として、患者にお注射をしたり、時々同僚からモルヒネの横流しを提案されては断る生活を送っていたという。で、各々の生息分布は、オッチョさんとヨシツネさんがこの敷地内の寮で生活をし、ユキジさんは別の家にステイしているようだ。

 その後も“ここに来た理由”とか“スペイン語を学んだきっかけ”みたいな定番の質問で歓談していたが、意外に事実が判明した。

 何と3人とも、あの“ダン池田似の胡散臭いおっさんがキナ臭い路地裏の雑居ビルで経営している浜松町の旅行代理店”経由でここに来たというのだ。

ダン池田
旅行代理店の担当者


 あのオヤジ、あんな顔してなかなかやるじゃないか!


 ……とまあ、こんな感じで初日の授業が終わった。


テーマ : 海外留学
ジャンル : 学校・教育

tag : メキシコ留学体験記1 バレーボール ドリフ 北斗晶 ダン池田

スポンサードリンク
ブログランキング



宜しければクリックを
お願いいたします。
ブログ内検索
カテゴリー
最近の記事
最近のコメント
月別アーカイブ
プロフィール

800ランプ

Author:800ランプ
ルチャリブレがきっかけでメキシコに興味を持つ。
20世紀末、突然そのことを思い出しメキシコへ。民間の語学学校で言葉を学びつつ、運の良さも手伝って浮世を忘れるほどの生活を満喫。
以降も帰国してはお金を貯めては渡墨し、また帰国してお金を貯めては渡墨ということを繰り返していたら、社会のレールから脱落したので日本に落ち着く。
しかし先日、わけあって現実逃避もかねてまた渡墨。今回の日記はそのときのもの。

最近のトラックバック
amazon
スポンサードリンク
リンク
タグクラウド

RSSフィード
By FC2ブログ

今すぐブログを作ろう!

Powered By FC2ブログ

上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。