ブログに関しての諸々
これは数年前にヒマつぶしで書いただけなのですが、旅行記はもう書き終わったし、せっかくなんでこの場にアップすることにしました。
内容は初めて留学とやらをしてみた時のことで、年月で言えば10年近くも前のことです。基本的には鮮度に関係ないネタを羅列するつもりですが、中には現在の環境と照らし合わせると違和感が出てくるものもあるかと思います。それらも踏まえて読んでいただけるとありがたいです。
【NEW】無報酬でMultimediosというテレビ局をステマする
tag : メキシコ クエルナバカ Cuernavaca メキシコシティ グアナファト Guanajuato サン・ミゲル・デ・アジェンデ San_Luis_Potosi サンフランシスコ
ケツイ
肩書きとしては「建築関係」とか「エバンジェリスト」に匹敵するくらいの胡散臭さだが、事実なので仕方がない。
一口にデザイナーと言っても職種は色々あるが、ぼくの場合はDTPである。
DTPと言われてもピンと来ないかもしれないが、紙媒体を扱うデザイナーだ。
これまた紙媒体と言っても多岐にわたるのだが、ぼくは主に雑誌の誌面、書籍のレイアウト、表紙の装丁、名刺、ポストカード、チラシ・カタログなどのデザインやオペレーション業務を請け負っていた。
毎日の暮らしぶりはこんな感じだ。
例えば、先方から手書きのラフ案がくれば、それを専門のソフトにおこしてデザインデータを作る。
ぼくの場合はその類の職種に縁のないクライアントが大半だったので、大抵の感想はラフの段階から、
「素晴らしいね。やっぱりこういうことはプロに任せるに限るな!」
と褒めらることが多かった。
そして、
「ジャンプ率と言いましてね、見出しと本文の文字の大きさの比率を変えることで、誌面のイメージや可読性が大きく変わるんですよ」
などといかにも専門家の意見っぽい台詞をのたまえば、
「そういうものなのか。やっぱりプロの意見は違うね!」
と賞賛を浴びる日々を送っていた。
しかしその反面、相手はこの業界に縁のないだけに、ルールを把握していない人や、PC知識がさほど得意ではない人もいる。
例えば掲載する画像は、基本的に印刷物の場合は高解像度でなければならないので、低解像度ですむwebサイトからの転用はできないことになっている。
そのあたりの説明はこれまでに何度も説明しているのに、
「このページにはこの添付画像をお使いください」
という内容のメールに明らかにwebから転用した容量3kbのサムネイル画像がしれっと添付されて激怒してみたり、かと思えばメールの30個くらいの画像を圧縮もせずに直接メール添付してくるすることもしばしばだった。
かと思えば、アイデアが湧かなかったので適当に文字類に影をつけまくったデータを見せたら、
「何でも影を付けさえすれば良いと思うなよ?」
と、正論を吐かれる時もあった。
まあ決して順風満帆というわけではなかったが、仕事はそれなりに順調だった。
知り合いの伝でレギュラーの仕事がいくつか入ってきたので生活はかなり安定していたし、イレギュラーではあったが、案件によってはそれだけで3ヶ月はゆうに暮らせる報酬がもらえる仕事にもありつけた。同業者によっては昨今の出版不況や経費削減で紙媒体の仕事が激減し、貯金を食いつぶしながら細々と続けている人も見受けられたので、ぼくは幸運だったのだろう。
ところが数ヶ月前、ぼくの体に大きな異変が起きた。
複数の案件の納期が一つの時期に集中したこともあり、各々を同時進行しなければならず、物理的な労力やプレッシャーが知らずに蓄積していたのだろう。
そしていつからか食欲がなくなり、一日に栄養補助食を一本完食するのも辛くなるほど食が細くなった。
睡眠もままならなくなり、ただでさえ眠りは浅いのに数時間後には目が覚めてしまうようになった。
それらとは反比例するがごとく、タバコの量は大幅に増えた。いつもなら日に半箱程度だったのが、この時期は最低でも三箱は消費してしいた。
それでも納期は守らなければ多方面に迷惑がかかり、ひいては自分の今後の仕事量にも影響するので特に病院へ行くことなく日夜業務に従事していたが、そのような状況では仕事に身が入るはずもない。イージーミスが増えて平謝りすることが頻発した。
それ以降のことはよく憶えていない。
そして、気がついたら……、




ぼくはキャリーバッグとデイバッグを抱え、北米はメキシコの土を踏んでいた。
……というか、覚えていないのはまるっきりウソで、実は全てはっきり覚えている。
要は、次から次へと舞い込む無茶な仕事を捌ききれずに頭が火山になってしまい、結果重度のイヤイヤ病を患ったので勢い余って仕事を辞め、現実逃避で旅行をしたくなっただけの話である。
では、この地球上にある200もの国や地域の中で、何故メキシコを選んだかというと、少なくとも崇高な理由はない。単純に、これまでに何回か訪れたことがあるからである。
実を言うと、10年ほど前に語学留学などと戯言じみた理由で一定期間滞在していたので、もうかなり忘れたとはいえ言葉はわからなくもないし、それなりに土地勘もある。
それに、現地在住の親日家の知り合いもわずかながら住んでいることも大きい。
彼らに顔を出せば、遠くから来た客人としてチヤホヤしてくれるだろうし、それこそ扇子とかアニメフィギュアといった日本土産を渡せば、豪勢な料理やタダ宿の一つでも用意してくれるに決まってるからである。
もっと言えば、仕事を辞めたら次の職場を探すのが真っ当な大人のすることなのだが、この不景気では職探しも面倒だ。誰にでもできる簡単な業務で週三日の勤務で月40万円もらえる仕事なんてそうそうないだろう。だったら仕事を探す前に円高な昨今を利用して旅行でもしてしまえという、ダメ中年ならではの発想が頭を支配したからである。
結局のところ、現実逃避という名のハナから行き先も予定も決まっていた旅が始まる。
東京国際空港にて
早速旅行代理店でチケットを手配したりパスポートを更新したりしていたら、季節は変わり、時は過ぎ、週が月になり、年になり、出発の日を迎えた。
今回は数週間家を空けることになるので、家のカギや旅行に必要ないカード類(ネットカフェの会員カードや日高屋の味付け玉子半額券)はポストに入れておき、後日知人が預かってくれるという画期的なシステムを採用した。我ながら計画的である。きっと小野真弓や夏川純も褒めてくれるに違いない。
さて、東京国際空港までの行き道だが、地元の駅から直行バスが出ているので、今回はそれを使うことにした。
成田発が午後の4時くらいで搭乗手続きは2時くらい、そして駅から空港まで1時間半程度らしいのだが、渋滞などの交通事情も考慮しなくてはならないので、昼の12時発くらいのバスに乗った。
祖国との土ともしばしのお別れを惜しむ意味で窓から外の景色を眺めていたが、話し相手がいるわけでもなく、隣に誰かが座るほど混んでもいなかったので基本的にはヒマである。ipodでナウでヤングな音楽でも聴こうかと手持ちのバッグをまさぐっていると、重大な事実に気づいた。
本来なら入っているはずの、現地で使う重要な書類一式が入っているクリアケースがないのだ。
後々考えてみたら、そこに入っていたのは往復の飛行機の予定表とか現地のホテルの予約カードとか不測の事態に備えたパスポートのコピーとか証明写真の類なので、なくても平気っちゃあ平気なのだが、それまで海外旅行で忘れ物らしい忘れ物をしたことがなかっただけに、急激にテンパる。どれほどのテンパり具合かというと、9割5分完成している100ページ分のパワーポイントデータを開こうとしたらなかなか開かず、画面が切り替わってようやく開くかと思ったら“データが破損しています”というアラートが出て強制終了してしまうくらいである。
一昔前なら空港に着いてから公衆電話で知人に連絡し、空港まで持ってきてもらうくらいしか方法がなかったが、今はハイテク時代であり情報社会である。
今回は何と、“海外ローミング対応の携帯電話”というNASA以上に時代の最先端を走るアイテムを携えての旅行である。
まず、速攻で海外に荷物を送ってくれる業者をi-modeで検索する。そうしたら、郵便局のEMSとかいう国際郵便を使えば、5日で届くらしいことがわかった。
さっそく知人と連絡を取り、丁度5日後くらいにお呼ばれされている現地の友人の連絡先を伝えることに成功した。
しかし安心したのも束の間、そういえばそいつはアルファベット系の言葉が苦手だ。日本語以外の言語は、繁華街の雑居ビル限定での赤ちゃん言葉だけだ。そんな輩に海外の、しかもメキシコの住所を口頭で伝えて一言一句きちんと伝わったかは一種の賭けである。ここはひとつロマンスの神様にでも祈願しておこう。
ともあれ、デキるエリート社員ばりにトラブルを回避して胸をなでおろしていたらバスは空港へ到着した。今回はサンフランシスコ経由でメキシコへ向かうので、まずはサンフランシスコが目的地である。
それにしても、しばらく飛行機に乗らない間に搭乗システムは飛躍的に進化したようだ。
今回利用する航空会社の場合は、ブースの前にある機械にパスポートを入れれば、本人確認と利用する便がたちどころにわかるようになっているらしい。画面の案内に従うまま搭乗手続きをこなしていたら、気になる項目が出てきた。
「今ここでプラス5000円をカードで支払えば、足元の広い席を手配できます。YES or NO」
ビジネスクラスほどではないにせよ、追加料金でより快適な空の旅が満喫できるようになっているらしい。航空会社の営業努力が伝わるサービスである。
とはいえ、手続きのシステムがここまで進化しているということは、エコノミークラスの快適っぷりも進化していると予測したのと、すでに金銭感覚はメキシコになっていたので、「おいおい、メキシコで5000円っつったら、けっこう良いランクのホテルに泊まれる金額じゃないか」と判断したぼくは、「NO」を選択した。
しかし、何気なく押した「NO」のボタンは、後の自分に忍び寄る魔の手だったことをまだ知らない。
そんなこんなで搭乗手続きも済ませたが、出発までは90分近くある。厳密には30分前くらいに待合ロビーに行かなくてはならないので、実質は1時間くらいだが、それでも手持ちぶさたである。
とりあえず空港内を徘徊していたらレストランエリアの案内標識が見えたので、そこに向かってみる。
すると前方に人だかりが。
もしかして、あの韓流スターがお忍びで来日?
それともアントニオ猪木恒例の成田会見?
まさかあのハイパーメディアクリエイター夫妻がまたモナコあたりを旅行?
逸る気持ちを抑えつつ向かってみるとそこには……。


不審物処理班らしき人たちと麻薬犬らしき犬がコインロッカーを囲んでました。
ただでさえ忘れ物で慌てふためいた前科があるのに、幸先が悪すぎるぞ。
そんなこんなでしばらくの間は、タバコを吸ったり軽く食事をしたりタバコを吸ったり手持ちのお金をドルに換えたりタバコを吸ったりしていたらぼちぼち時間が経ったので搭乗ロビーへ。
働かなくても後ろ指を指されない年代の人はまだ夏休み真っ盛りだが、働かないと虫けら扱いされる年代の人は、世間的にもう夏休みは終わっているはずだ。にも関わらず、ロビーには若者だけでなくぼくと同世代、もしくは上の世代の日本人がそれなりにいるではないか。彼らは全員無職なのだろうか。
……そんなことを考えていたら、英語のアナウンスが流れる。英語は不得手なのでよくわからないが、
「エコノミークラスしか乗れない貧乏人ども、ファーストクラスとビジネスクラスをご利用いただける大事なお客様の搭乗案内が終わったからおまえらもさっさと並べ!」
と言っている気がした。
エコノミーエリアはビジネスクラスの後ろなので、必然的にビジネスクラスで悠々と座っているお金持ちを尻目に席に向かう。
心なしか、
「ハッ、ようやく貧乏人共が乗ってきたよ。おまえらが乗らないと出発しないからテキパキ動け!」
と言っているような気がしたのは気のせいだろうか。
敢えて航空会社の名前は出さないが、ここを使うのは初めてである。そういえば、だいぶ前に利用した別会社ではエコノミーでも個人用のテレビがあって、見れる番組はかなり充実していた記憶がある。映画やニュースはもちろん、『風雲たけし城』の再放送なんて粋な番組をやっていた。それに、単純ながらもテレビゲームが充実していた記憶がある。この航空会社ではどんなサービスがあるのだろうか。半券で座席番号をチェックしつつ、自分の席を見つけた。
……ここのエコノミー、奥行き狭!
足を伸ばせるなんて事はさらさら思ってなかったが、エコノミーって、普通に座っても膝が荷物入れの網にくっつく寸前だったり、前の席の人にMAXまでリクライニングされたら、背もたれがアゴにくっつきそうだったっけ?
そういえば、ぼくの席の前方を見ると5倍増しくらいで奥行きを維持している席があるではないか。どうやらこれが“5000円分増量席”だろう。あんな養豚場のトラックに積まれてる豚状態で10時間を過ごさなければならないことを考えれば、5000円追加するだけでこの空間が約束されているのであれば、かなり安い。
まあそれはそれとして仕方がない。こうなったら娯楽設備に期待するしかない。
……個人用のモニターがない! あるのはイヤホンだけ。
ということは、遠目にある大型モニターでこっちの嗜好に関係なく会社がセレクトした映画を見せられるだけか。
まあDSもipodもあるからこれも目を瞑るとして、せめて機内食に期待したいところだ。
そして離陸してから数時間後、FAから機内食を配られた。メニューはもう忘れたが、ペンネとチキンにトマトソースがかかったやつだったと思う。
……不味くはないが美味くもない! 無駄にカロリーを摂取しただけだ。
というか、トータルで最も美味だったのは日本ではあまり飲む機会のないスプライトだけだ。
ここまで何もかもがダメダメなので、最後の手段として“見知らぬ隣の席の人と偶然仲良くなったが故の、到着まで楽しい語らい”に賭けたいところだ。
非現実的かと思うかもしれないが、これは実体験であった。その時はかわいらしいお嬢さんが気さくに話しかけてくれて、偶然にも互いの出身地が目と鼻の先という共通項から始まり、離陸から到着までの間、消灯時間以外は大して途切れることなく話が弾み、FAから“てっきりあの娘は君の彼女かと思ったわ”と言われるくらい仲良くなったことがあるのだ。
しかし、そんなぼくの思惑を踏みにじるかのごとく右隣の人はずっと寝ているし、通路を挟んだ左隣の人はスヌープ・ドッグばりに怪しい出で立ちなので話しかけるのも話しかけられるのも怖い。
こんな感じの人
もうこうなったら酒でもかっくらって寝るしかないのだが、気圧のせいかビールを飲んだら悪酔いしてしまい、眠気より不快感の方が勝ったので寝るどころの騒ぎではない。
総括。
チケット代は相対的には安かったが、設備やサービスを考えると安いとは言えない。
今後、この航空会社は基本的に二度と使わないことに決定。
サンフランシスコ→メキシコ→クエルナバカ
快適どころか苦行に近かった10時間のフライトを経て、とりあえずサンフランシスコ国際空港に到着。1時間半後にはメキシコシティ行きの飛行機が出発してしまうので、早々にロビーまで向かう。
ぼくはニコチン中毒者なので禁断症状がほどほどに出てきているのだが、ヘタにトイレで一服を決め込もうものなら、火災報知器がけたたましく鳴り、係員に別室へ連れて行かれてライフルの尻でこめかみを叩かれたり、法外な罰金を払わされた挙げ句、日本へ強制退去させられて向こう100年はアメリカに入国できない事態になりそうなので、ここは我慢だ。
さて、何やかんやでメキシコシティ行きの便のロビーに到着したが、さすがにここまで来ると日本人らしき顔は見あたらない。ベーコンダブルチーズバーガーやスニッカーズをいくら食べても生のフルーツを齧ればカロリーが帳消しになると思い込んでいそうな輩や、本名はホセ・ゴンザレスもしくはマリア・ロドリゲス以外にありえなさそうな顔立ちの人ばかりである。
ソファーに座っていたら、かなり大柄でマッチョな男性を発見した。身長もさることながら、マッチョ具合もハンパではない。服装も“タンクトップにダボダボのイージーパンツ”という教科書どおりのマッチョ系コーディネートなので、職業はボディビルダーかフィットネスインストラクターの類と思われる。
悪いとは思いつつよくよく顔を見てみると、↓にそっくりだ。

| スコット・スタイナー 90年代に第一線で活躍したアメリカのプロレスラー。かつては弟のリックとスタイナー・ブラザーズを結成し、日本では武藤や馳とかとIWGPタッグ王座を巡って熱闘を展開したり、WCWという当時の大手団体の主力として活躍していた。WCWが崩壊してしばらくした後に「最後の大物」として鳴り物入りでWWEに登場したが、たいしたインパクトを残せなかったため短期間でフェードアウト。現在はアメリカ第二勢力団体・TNAを主戦場にしているとかしていないとか。1962年6月29日生まれ。身長185cm、体重130kg。 |
メキシコはプロレスも人気なので、遠征でメキシコに行っても不思議ではない。
「Excuse me, are you Scott Steiner?」
なーんて声をかけても良かったが、よくよく考えればスコット・スタイナーに大した思い入れはないので、声はかけなかった。
というか、日本とは比較にならないほどレスラーの社会的地位も知名度も高いはずのアメリカにおいて、過去の人とはいえ業界最盛期に一時代を築いた実績のある選手が、乗客がさほど多くない便のロビーではあるものの大都市の国際空港にいながら他の誰からも声をかけられた形跡がなかったので、恐らくスタイナーのファッションを取り入れた一般人の可能性が高い。
そんなこんなで4時間後、遂にメキシコシティ国際空港に到着。時差があるとはいえ、昨日の午後4時くらいに成田を出発したのに日本と同じ日の夕方に到着するのは何となく解せないが、無事に目的地に到着したことに胸を撫で下ろす。
しばらく来ない間に空港を改築したようで、かなり新しくなっていることに驚く。ここだけを見たらメキシコは先進国のような錯覚に陥ってしまう。
そんなことはともかく、何はともあれまずは一服だ。
2年前まではレストランエリアでも余裕で喫煙が出来たが、改築を機に室内をオール禁煙にしたようだ。仕方がないので外で約15時間ぶりに一服を決め込んだら、頭がクラクラした。長い刑期を終えた服役囚のような気分を味わっていたら、すぐ近くでさっきのスタイナーがソワソワしながら途方に暮れていた。
とりあえず今日のうちに、メキシコシティの隣にあるモレーロス州の州都・Cuernavaca(=クエルナバカ)というところへ向かうことにしている。
ここへ向かう理由は、ぼくがは初めてメキシコに来たときに訪れた場所だからだ。半年くらいここの語学学校に通っていたので、いわばメキシコにおける地元のようなもの。土地勘もあるし、わずかではあるが知人も何人かいるので、まずはここを拠点にするつもりだ。
メキシコは車社会なので、陸路での長距離移動は何といってもバスだ。幸いにも空港からCuernavaca行きの直行バスが運行しているので、バス乗り場へ向かう。
因みにメキシコのバスには等級があって、割高だが豪華で快適で安全なバスは一等、割安だが乗り心地や安全面に難のあるバスは二等とされているのだが、空港に乗り入れているバスはもれなく一等である。シートは文字通りファーストクラスのように豪華で広々、エンジン音も静かでソフトドリンクと軽食のサービスもついているし、おまけに車載テレビで映画まで見れる。
それにセキュリティもバッチリで、入念な手荷物チェックはもちろんのこと、トランクに入れる大きい荷物も乗客毎に割り印的な証明書を発行してくれるし、目的地までノンストップなので途中で客を装った泥棒が入ってくることもない。もちろん一等なので値段も少々張るが、安全と快適さを買うと思えば高い買い物ではない。どこぞの航空会社も見習ってほしいくらいの至れり尽くせりっぷりである。
しばらく走るとバスは市街地を抜け、高速道路に入る。さっきまでは高層ビルや入り組んだ道路、携帯電話の看板といった都会ならではの風景が目に入ったが、このあたりになると畑や山といったのどかな田園風景が目に飛び込んでくる。
更にしばらくすると、
「BIENBENIDO Cuernavaca(クエルナバカへようこそ)」
と書かれた大きな看板が目に入った。何となく、“目的地に着いた”というよりは“久々に帰ってきた”という感覚になるのは不思議である。
そしてバスターミナルに到着したら、今度はタクシーでセントロ(繁華街)のホテルまで向かう。クエルナバカにはバス会社別にターミナルが分かれているのだが、空港に乗り入れているバス会社のターミナルは、セントロから少し離れたところにあるのだ。
早速タクシーの運転手と料金交渉して(地域によってはメーター制のタクシーもあるが、クエルナバカは乗る前に交渉するシステム)、30ペソ(当時のレートで240円くらい)で交渉が成立したのでホテルに向かう。メキシコシティで渋滞に巻き込まれたせいですっかり日が落ちてしまったので、早くチェックインした方が得策である。
しばらく走るとホテルの看板が見えたので「ここで降ろしてくれ」と伝えるが、運転手はなぜかぼくの言葉を無視して少し離れた路肩に車を停めた。
すると彼はバックミラー越しに、
「残念だな、ハポネス(日本人)。あのホテルはもう閉まってるぞ」
と言ってきた。
……え? 閉まってる?
確かにホテルによっては門限があるところもあるが、少なくともホテルの看板は確認できたし、仮に門限があったとしてもまだ21時くらいなので閉まるにはまだ早い。「もうつぶれた」とか「満員」というなら納得は出来るが、「閉まっている」という言い回しが実に引っかかる。そんな猜疑心をかかえつつも、運転手はなおも言葉を続ける。
「いいか、最近クエルナバカは治安がかなり悪くなった。このあたりは売春婦やドラッグの売人、スリがたくさんうろついている。それでも良いというのならここでおまえを降ろしてもいいが、こんな時間にそんな大荷物を抱えて歩いている姿を奴らに見られたら何をされるかわからないぞ」
うーん、確かに一理ある。現地在住の知人も以前に似たようなことを言っていたし、治安が良いとはいえあくまでも “メキシコ国内ではましな方”という次元でしかない。
尤も、「閉まっている」に関しての疑問は全く解決していないが、長旅の疲れがピークに達していると運転手の言い分が神のお導きのような説得力を味わうから不思議だ。
運転手は更に言葉を続けた。
「セントロから少し離れたところで良ければ、プラス100ペソ(約800円)で安全で快適なホテルを紹介してやってもいいぜ。明日俺に連絡をくれればタダでセントロまで送り迎えしてやるよ」
メキシコにおける100ペソという価値を日本に当てはめると、焼肉屋でけっこう飲み食いできるくらいの額だ。しかし、ホテルの紹介料とタクシー代の前払いと考えれば条件としては悪くはない。少なくともこの時点でのコンディションはかなりグダグダだし、考えるのも面倒になったのでここは運転手の提案にのることにした。
そして更に走ること約10分、タクシーは高速道路沿いの割かし大きなホテルに横付けした。
高速道路といっても、日本のように国道から完全に隔離された有料道路ではなくアメリカのフリーウェイのような感じで、脇道や一般道へも容易に抜けられる幹線道路である。ただ、周囲には何もない郊外なので確かに不便ではあるが、部屋はかなり清潔で広いし、料金は思ったほど高くはない。時間も時間だし、というか今夜に関しては最早ぼくに選択肢はなさそうなので、チェックインすることに。
「ブエナス・ノチェス(おやすみ)、アミーゴ。連絡待ってるぞ」
そう言って運転手は夜の街へ消えた。
しかし、どうも重要なことを忘れているような気がする。
……そうだ!
あいつの名前と連絡先聞いてねえ!
メキシコ入国早々に、しかも馴染みの街でボッタクられた!
つーか、お前こそが治安悪化の要因の一つなんじゃねーの?
すぐにでも『予告.in』に通報されるのを覚悟で某巨大掲示板にヤツの罵詈雑言を手当たり次第書きたくなったが、今回はぼくの広い心に免じて許してやることにした。なぜなら備え付けのテレビをザッピングしていたら、無修正版おもしろビデオ集がタダで見放題だからだ。むしろ気持ちとしては、素晴らしいホテルを紹介してくれてありがとうである。
シャワーを浴びて体もさっぱりしたところで、アグレッシブかつアクロバティックなアメリカ人カップルのスーパープレイ集を鑑賞しつつ(あくまでも“鑑賞”しただけ)、入国最初の夜は更けていった。
tag : サンフランシスコ スコット・スタイナー Scott Steiner クエルナバカ Cuernavaca メキシコ セントロ
TAXCO−タスコの喧噪とクエルナバカでの再会
昨夜はかなり疲れているはずなのに、時差ボケのせいか4〜5時間で目が覚める。カーテン開けてみるとようやく日が昇り始めた時間のようで、日焼け止めクリームを塗るほどまだ日差しは強くない時間だ。
そういえば何だか小腹が空いてきた。このモーテルの中には24時間営業のレストランがあるらしいので、そこで朝食を摂ることにしよう。
かなり早い時間帯に行ったせいか、ぼく以外に客は誰もいなかった。テレビの音だけがかすかに聞こえる静寂の中、ホットコーヒーとトーストと鶏肉ベースのスープを注文する。美味いことは美味いが、やはりホテルの食事だけに値段は高い。
食後、朝の散歩ついでにジュースでも買おうと思い外に出てみるが、郊外の幹線道路沿いのホテルなので周囲には本当に何もない。なので散歩というかただ外に出ただけで終了。
フロントに相談したら、
「Refresco(=レフレスコ_ソフトドリンク)の類だったらここでも売っている」
とのこと。ホテルフィーがあるだろうから多少割高なのは仕方がないと心に保険をかけつつ値段を聞いてみたら、@15ペソ(当時の相場で120円くらい)というではないか。そこら辺の売店ならその三分の一程度で売っているはずなので、いくら近くに何もないとはいえかなり卑怯な値段設定だ。
かといって、水道水をそのまま飲むのは国広富之をトミコ呼ばわりするくらい危険な行為なので、メキシコではお馴染みまくりのアップルソーダ「MANZANA LIFT」を購入。

| MANZANA LIFT (マンサーナ・リフト) メキシコならどこででも売ってるアップルソーダ。コカコーラ社製。 |
手元に飲料水がないのも不安なので仕方なく買ったが、昨日のボッタクリといいこのソーダといい、未だに物価安の恩恵に預かれていないのは、どうも釈然としないが仕方がない。
さて、今日は隣町のTAXCO(タスコ)という、ここからバスで2時間ほどの場所にある山間の街へ観光することにした。かつては銀の発掘で栄えた歴史があって、今なお街並は17世紀の趣を残しており、銀細工の土産物が多数売っているばかりか、立地的にも周辺から気軽に行ける観光地賭しても人気が高い。
セントロにあるバスターミナルから1時間おきにタスコ行きの長距離バスが運行しているので、早速身支度を整えてターミナルへ向かう。昨日利用したバスターミナルからは運行していないので、別のターミナルということになる。
受付の人にチケットを頼むと、10時10分にタスコ行きのバスが発車するとのこと。
腕時計を見たらまだ9時前。けっこう手持ち無沙汰だが、隣には24時間営業の大型スーパーもあるし、ターミナルの中にはネットカフェもあるので時間は適度に潰せそうだ。
とりあえずチケットを買ってからスーパーで水やちょっとしたお菓子を買う。ターミナルにも売ってはいるが、スーパーで買う方が割安だ。しかし、その程度の買い物では20分程度しか時間はつぶれないので、ネットカフェで更に時間をつぶす。因みにメキシコでは、日本もしくはアジアの製品でないと日本語は文字化けしてしまうので、日本語のサイトが見れるかはギャンブルの要素が強いのだが、どうやらここは問題なく表示できるようだ。
hotmailのメールをチェックしつつ、Yahoo japanのトピックスでをチェックしたり、youtubeでかわいらしいニャンコの動画を見ていたら、現地在住の友人・ルシアがMSN MESENGERにアクセスしてきた。
かわいいニャンコの動画
「いつメキシコに着いたの?」
「夕べ着いたばかりさ」
「久々のクエルナバカはどう?」
「まだよく見てないけど、相変わらずだね」
そんな取り止めのない会話をしていたら、話題は今日のぼくの予定になった。
「今日は予定あるの?」
「これから10時のバスでタスコへ行くんだ。今はターミナルのネットカフェからアクセスしてるよ」
「……もう10:30だけど大丈夫なの?」
……何だって?
言われてみれば、確かにPCの時計は「10:30」と表示しているのは初めからわかっていたが、てっきりズボラな性格でお馴染みのメキシコ人のことだから時計を直していないのかと思っていた。
しかしよくよく壁掛け時計を見てみると、やはり針は10:30を指している。というか、このあたりの時計で9:30を指しているのはぼくの腕時計だけのようだ。どのようにして間違ったのだろうか。
すぐにカフェを出て、係員にさっき買ったチケットで次のバスに乗れるか相談してみたが、「それはサポート外です」とけんもほろろだったので、改めてチケットを買いなおす羽目になった。
こうなったらタスコでしっかり元を取らなくては。
山を飛び谷を越え、2時間後にぼくらのタスコへ到着。早速バスを降りて、いざ観光だ。

ブブブブ、ブオン、ブオン、ブオーーーン(車のエンジン音)
パラリラ、パラリラ、パラリラ(クラクションの音)
「※○●◎△×★☆※○●◎△×★☆」(土産物屋の売り子のかけ声)
「タクシー? タクシー?」(タクシー運転手の営業)
ウ〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜〜ッ!(パトカーのサイレン音)
うるせーー!
まあどの街もこんな感じの喧噪だが、各々の音量がクエルナバカよりうるさい気がする。
さて、この街はかなり山間の街なので、中心地であるソカロ(中央広場)はけっこう高台にある。ふもとにあたるバスターミナルから徒歩でも行けなくはないのだが、坂の勾配が登山レベルなので、旅行者であればタクシーで向かうのが一般的だ。しかし、ぼくの場合は今までにムダ銭を無作為にまき散らしているので節約しなければならないのだが、ソカロまで徒歩で行く根性はさらさらないので路線バスで行くことにしよう。因みにここの路線バスの形状は、どちらかというと大型のバンの荷物スペースに長いすを溶接しただけというシンプル設計である。
そんなこんなでソカロに到着。
街並はこんな感じ。

因みにここはとにかく平地らしい平地が少なく、どこへ行っても坂だらけ。しかも道はかなり入り組んでいるので、短距離の移動でも疲労感と消費カロリーは倍増する。なので、近頃運動不足の方やダイエットが長続きしない方、キレイになって自分をフッたアイツを見返してやりたい方にとっては、実に心強い街でもある。ただ、メキシコにはカロリーの高い食べ物が多いので、それらを一切食べなければの話だが。
例外なくぼくも完全に道に迷い、ふわふわと彷徨っていたらいつの間にか市場ゾーンでさまよっていた。野菜・果物・CD・日用品などの露点が道の両脇にぎっしりと並び、店員が大声で通行人に声をかけたり、可愛らしい子どもが店番をしていたり、実演販売していたりと実に活気に満ちている。
それとなく歩いていると小さなおもちゃ屋を発見。メキシコでは日本アニメの人気がかなり高いので、店頭には日本でもお馴染みのフィギュアや関連グッズが国中に溢れている。とは言ってもここで売っているものの殆どはパチモノなのでクオリティもたかがしれているが、とあるフィギュアが視界に入ってきた。

似せる気なさすぎだろ!
というか、このクオリティで出荷にゴーサインを出した責任者の決断力をむしろ褒めてあげたいくらいだ。
ところでこれは何の何かなのか、店員ですら「よくわからない」と言うので、謎は深まるばかりだ。因みに値段は20ペソ(160円くらい)だったので値切っても良かったが、こんなクズのために1円刻みで交渉するのは逆にバカバカしいので、言い値で買ってやった。
その後も一通り廻ったのでもう帰ろうかとも思ったが、アレを買うためにここに来たわけではないので、土産物を物色することに。
とりあえず日本の友人向けに恐らく銀製の灰皿と、ちゃんと日本でも十分通用し、かつメキシコ色の強いシンプルなデザインのTシャツをゲットしていたら、日も暮れかけてきたのでクエルナバカへ戻ることに。
今夜はクエルナバカのセントロで、マヌエルという友人と久々に再会することになっている。タスコに行く前にチャットをしたルシアとは別の友人である。
彼とはクエルナバカの語学学校に通っていたときに知り合った。
確かCuernavacaのCentro(=セントロ_繁華街)の日本食レストランで、地元の日本語学校に通っている生徒との国際交流イベントがあって、たまたまぼくの隣に座っていたのが彼だった。
当時から彼は日本語はかなり話せていて、互いにロック好きという共通項があって意気投合した。その後もバーに繰り出して互いの国のスラングを教えあったり、夜遅くまでバーで深い話をするなど、滞在中に一番良くしてくれたナイスガイだ。ぼくが帰国してからもメールなりチャットなりで交流は続き、何だかんだで途絶えることなく現在に至っているのだ。
しかし以前と違うのは、彼は既に所帯を持っているということだ。風の便りによると、相手はウルグアイ人の元モデルと聞いている。
そして待ち合わせ場所で久々のご対面。顔つきも体型も昔のままで、あまり老化した気配は感じられない。
初対面である奥さんのディアナさんは、確かに美人だ。写真はないので文字で伝えるとすれば、結婚の時にかなり一悶着があった君島なんちゃらさんに似た気品さを持ち合わせているではないか。年は全然違うけど。
そしてマヌエルの腕の中には、二人の愛の結晶たる娘さんのイヴァナちゃんがくるまれていて、終始訝しげな目でぼくを凝視している。

確かにすごく可愛い。将来性という点では、森本貴幸や錦織圭に匹敵するではないか。
さて、近くのピザハウスで舌鼓を打ちつつ、しばしご歓談だ。とりあえずはお約束として、二人の馴れ初めを聞いてみた。
マヌエルは数年前に自転車でクエルナバカからアルゼンチンまで縦断するという大掛かりな旅を敢行したのだが、ウルグアイに立ち寄った際に現地の知人の紹介でディアナさんと知り合ったという。それからそれなりの付き合いを経て結婚に至ったと思いきや、一目ぼれしたマヌエルはその数日後に婚約指輪を贈ってプロポーズしたというではないか。これが今流行りのビビビ婚というやつだろう。
ディアナさんも、マヌエルと知り合うまではメキシコを意識したことがない生活を送っていたので、まさかこうしてメキシコ人と結婚してメキシコで生活することになるとは全くもって思いもよらなかったという。しかし、今はマヌエルと結婚できた上に可愛い娘にも恵まれたので本当に幸せだと、はにかんだ笑みを見せながら言っていた。
……そんな話をしている間にも、まだ1歳半のイヴァナちゃんは終始ジタバタしていて、わざとフォークを地面に落として気を引こうとしたり、二人に甘えようと大声を出したりする。その時の二人は親としての顔に変わり、おいたをすれば適度な温度で叱りつけ、甘えてきたときはきちんと抱きかかえて頬に口づけをする。
その空間に包まれていたのは、3人から3人へ注がれる愛情そのものだった。きっとマヌエルとディアナは何があっても生涯添い遂げるだろうし、二人で力を合わせればどんな困難にも立ち向かえるだろう。
そしてイヴァナちゃんも、この二人に見守られて育てば誰からも愛される女の子として人生を送ることができるだろう。
……つーか、何かおまえら何から何までステキだな!
非の打ち所がなさ過ぎだよ!
そんな一家に癒されつつ、話題はぼくの明日の予定になった。
何でもモレーロス州の郊外に、ぜひともぼくを招待したいレストランがあるという。どうやらそこの食事はロッテリアの絶品チーズバーガーよりも絶品らしい。
明日は特に予定を決めていなかったので、明日の午前中にまた会うことになった。
tag : Cuernavaca クエルナバカ Taxco タスコ メキシコ ウルグアイ アルゼンチン MANZANA_LIFT 国広富之
Tepostlan-テポストランとSanbornsとVIPSと私
相変わらず時差ボケが続いているようで、昨日同様4〜5時間で目が覚める。心なしか若干頭が痛い。睡眠不足のせいか、二日酔いかは不明。
時間はまだ朝の7時。
今日は、昨日同様マヌエル一家と朝11時に落ち合うことになっているのだが、さすがにこの時間では彼らもまだ夢の中だろう。
暇つぶしにテレビを見たり、例のチャンネルで淡々とした中国人カップルのおもしろビデオを見たり、DSで桃鉄をプレイしたり、ホテル内のレストランで軽い食事を摂ったり、例のチャンネルで男性のアメリカンドッグにタバコの煙を吹き付けるタイプのおもしろビデオを見たりするが、そんなにガッツリと時間が流れるわけがない。ホテル内で出来ることには限りがあるので、さっさと身支度を調えてセントロまで行ってみる。
案の定、殆どの店はまだ開店前だが、なぜか一軒のネットカフェは開いていたのでダラダラと過ごしていたら良い感じの時間になったので、店の前でタクシーを拾う。
今回の待ち合わせ場所はクエルナバカではなく、彼らの地元であるヒウテペック(JIUTEPEC)という隣の街である。各々の位置関係を敢えて埼玉県で例えるとすると、クエルナバカはさいたま市で、ヒウテペックは越谷市や北本市といったところだろうか。
20分後にヒウテペックに到着。ここはいかにも郊外の小さな町といった塩梅で、取り立てて何か記したくなるものはなさそうだ。
ソカロのベンチで待っていたら、マヌエル一家は車で迎えに来てくれた。相変わらずイヴァナちゃんはご機嫌な様子で、チャイルドシートで自由を奪われても手足をジタバタ動かし、時折奇声を発している。
今日は、彼らが勧める絶品レストランでブランチだ。しかし、この時点では絶品以外のキーワードは知らされていないので、レストランの種類すらわかっていない。場合によっては浄水器とか界面活性剤ゼロのシャンプーとかを友人に売るビジネスの提案ということも考えられる。
マヌエル曰く南へ走り続けること1時間。このあたりになると外の景色はかなりのどかで、視界いっぱいに田園風景が広がっている。しかし車はまだ停まる気配はなく、相も変わらず走り続ける。
さらに30分は走った頃、マヌエルは「ここだよ」と指さしたものは、周りの田園風景とはあまりなじんでいるとは思わない一流ホテルのような建物だった。
促されるままに中に入っていくと、広い庭園が目に飛び込んできた。綺麗に手入れされていて、美しい花が程よく咲いているではないか。どうやら、それを見ながら優雅な食事を楽しめるレストランのようだ。
彼らは大皿のメインディッシュを頼むようなので、とりあえずワッフルとオレンジジュースとスクランブルエッグを注文。まずくなりようがないメニューなので、普通に旨い。メインディッシュは何を食べたのかはもう忘れたが、まずかった記憶はないのできっと美味しい何かだったのだろう。
ここでも取り留めのない会話に終始。
今後のぼくの予定とか、ディアナさんの出身地であるウルグアイはヨーロッパのように美しい街だとか、ペルーのリマは野グソ・野小便がまかり通っているので街が慢性的に汚いとか、日本通のマヌエルらしくなぜ日本では茶碗に盛ったご飯に箸を刺してはいけないのか、などなど。
ふと、イヴァナちゃんをよく見てみると、年の割に生えている歯の数がやたら多い。

1歳半で乳歯がほぼコンプリートで生え揃っているのはかなり早熟だろう。聞けば、マヌエルもその頃に歯が生え揃っていたらしいので、親譲りなのかもしれない。
食後は、みんなで中庭を散歩する。
強いながらも穏やかな陽気を浴びつつ適当に散策するが、やはりここでも主役はイヴァナちゃんである。少しでも手を離せばさっさとどこかへ行ったり、突然方向変換してさっき行ったところへ戻ろうとしたり、特に変哲もない芝生をじっと見つめたりと、予測不可能な行動にぼくら大人3人は大わらわである。
そんなこんなで昼の2時くらいになった。
彼らはこの後用事があるのでそろそろ別れなければならないのだが、正直こんな辺鄙なところで別れられても困る。マヌエルは、用事があるところで降ろしてくれると言ってくれたが、問題なのはぼく自身が次の予定をまったく決めていないことだ。
とりあえずクエルナバカの近くにはソチカルコ(XOCHICALCO)という世界遺産に登録されている遺跡があるが、ここからだとけっこう遠いようだし、行ったとしても着いた頃には閉園しているだろう。
かといってクエルナバカのセントロに戻ってネットサーフィン三昧するのもアレだし、ホテルに戻って面白ビデオに耽るのもかなり不健全だ。
……というわけで熟考した結果、クエルナバカの近くにあるテポストラン(TEPOZTLAN)という街に行くことにした。
正直なところ、大して行ってみたいとは思わないところなのだが、行って損はないだろうし、行けば行ったで何かしら発見はあるだろう。ここは 行かずに悔やむよりは行って悔やむ(岬太郎の父・談)の精神で行こう。
当初は、テポストラン行きのバスが運行している近くのバスターミナルまで送ってもらうつもりだったが、結局テポストランのソカロまで連れてってくれた。
明日は別の予定があるし、それ以降はしばらく別の場所を彷徨うつもりなので、一旦はここでしばしのお別れである。帰国前にまた会うことを約束しつつ、遠ざかる車を見送った。
テポストラン素朴で小さな村だ。
何でもここにはアステカ人やインディアンの血を継ぐ子孫が多く、先住民の言語であるナワトル語(日本で言うアイヌ語みたいなものか)の話者が多いとか多くないとか。
確かにここには、マクドナルドやスターバックスといった文明社会を象徴するお店は見当たらない。そのせいか、メキシコ人でもないのにどことなく懐かしさが漂っているような気がする。

テポストランの街並
ちなみにここにはテポステコという大きな山があって、有料だが登山もできる。山の頂上にはピラミッドがあって、時期によってはそこで民族舞踊や伝統的なお祈りが行われるのだ。
しかし今回はパス。
だいぶ前に登ったことがあるからというのと、予定外の観光だからというのが主な理由だが、そもそも、登山ができる山があると知っていながらサンダルで来ているという時点で、どの程度のテンションで今ここにいるかがわかりそうなものだ。
さて、城戸真亜子気取りで街を散策してみると、またしてもおもちゃ屋を発見。店頭にはおもちゃのプロレスマスクが並んでいて、レスラー人形も売っているではないか。あれこれ迷った結果、ティニエブラスの人形をゲット。

| ティニエブラス(Tinieblas) 通称・暗黒仮面。既に70歳を超えているはずだが、今でも時折リングに上がっているらしい大ベテラン。レスラーとしての実績は国内でも国外でも大したものは残していないが、国内向けのアクション映画やB級コミックの主人公によく抜擢されているので、今でも第一線の人気を博しているとかいないとか。 |
やはりここにも日本のアニメグッズは売っており、シンプソンズやWWEフィギュアにまぎれて孫悟空やポケモングッズ(当然ながらパチモン)が所狭しと並んでいる。店員は、ぼくが日本人と分っているにもかかわらずそれらを買うように薦めてくるのだが、こいつの頭は大丈夫だろうか。
休憩後にまたぐるぐる回ってみたが、もうすることはなくなったようなのでクエルナバカに戻ることにする。町外れのバスターミナルから、クエルナバカの近くにある大きな市場まで運行しているバスがあるので、ついでに市場を回ってセントロで夕食を摂ってからホテルに戻るとしよう。
バスに揺られ、20分後に市場に到着。
さすが市内最大の市場だけあって、とにかく広い。肉や魚といった生鮮品はもちろん、衣類・日用品・CD・ゲームソフト・電化製品・文房具などの店が、所狭しと軒を連ねている。
しかし、ここで売っている生鮮品は鮮度がたかがしれているので、立ちこめている臭いが尋常ではない。
生肉・生魚・チーズ・果物・野菜・生花の全てがミックスされた臭いは、Nirvanaの『Smells Like Teen Spirit』ばりに強烈である。ここで不用意に鼻呼吸をしようものなら、これまでのあんなことやこんなことの記憶まで消えてしまいそうなほどだ。
なので、そこで働いている人には申し訳ないのだが、生鮮品ゾーンにはなるべく近寄らずにウィンドーショッピングをしていたら、突如として唐突に強烈な刺激が腹部を襲ってきた。
は、腹が非常に痛い!
ついさっきまでは何ともなかったのに!
もしかしてこの臭いを嗅いだからか?
すぐさまトイレを探すが、さすが市内最大の市場だけあって、なかなかトイレが見つからないが、そこはかつてここを生活の拠点にした経験を持つ俺様である。何ら慌てる必要はない。
なぜなら、セントロにあるSANBORNS(=サンボーンズ)というデパートに清潔なトイレがあるので、そこまで我慢すればいいだけの話だ。正直、痛みは五臓六腑に染みわたっているが、ここから徒歩で10分程度なので、何とか間に合いそうだ。

| Sanborns(サンボーンズ) ミミズクのマークでおなじんでいる全国チェーンのデパート。ラインナップは基本的に富裕層向けで、正規品の香水とか葉巻とか最新の電気機器とか高級なお菓子とかこじゃれた雑誌などを売っている。店舗によってはレストランを併設しているところもある。 |
しかし、久々に市場へ来たせいか、完全に道に迷う。どうも同じところを行ったり来たりしているだけのようだ。
その間にも痛みと便意は威力を増してくる。このままではぼくのGパンはもとより、今後の旅行とぼくの人格にも支障が出てしまう。 なので徒歩のルートを断念し、すぐさまタクシー乗り場まで向かう。
うかつにそんな近場を指定したものだから、ドライバーはぼくをここら辺の地理に疎いカモ旅行者と見なしたのだろう。相場よりリアルに高めの金額を設定してきたが、交渉をしているヒマはない。前の車を追いかけたい刑事さんの如く、すぐに車を走らせた。
そして約2分後、無事Sanbornsに到着。たかがクソのためにタクシーで高級デパートに訪れるというのも、違う意味でかなり贅沢なお金の使い方である。店員の上品な応対を尻目にトイレへ直行だ。
数分後、さっきの苦悩とは打って変わって悟りの境地に達したので、優雅に店内をウロウロする。タダでトイレを使うのは気が引けたので、適当にホールズを買って店を後にする。
しかし店を出た瞬間、予想だにしない第二波が腹部を刺激した。二部構成のイベントとは聞いていなかったので、再びSanbornsへ。因みにここのトイレの入り口には防犯とか痴漢退治も兼ねて店員が常駐しているのだが、ぼくの顔を見た彼は明らかに「またこいつかよ?」と怪訝そうな顔をしていた。
今度こそ大丈夫と思いまた店を後にしたが、20分後くらいにまたレベル4の厳戒態勢が腹部を発令した。まさか夜の部まであるとは思わなかったので、また戻って店へ向かう。
さすがに得体の知れない外人がこの30分で3度も入店していることに店員も何かを察知したようだ。トイレに付く前に入口付近にいた店員が、
「お客様、何かお探しですか?」
と、実に機敏かつ迅速な動きのでぼくをマークしてきた。おそらくこの対処は、要注意人物向けの仕様であろう。はっきり言ってこっちはそれどころではないが、君の対応は正しいぞ!
さすがにここまでされてはトイレに直行するわけにもいかず、モゾモゾする尻に気を遣いながらも、
「あのー、CD売り場はどこでしょうか?」
と、「トイレのためだけにここに来たわけではない!」というギミックを示しつつ、トイレからは最も遠いと思われるCD売場へ案内される。
物色しているフリをして店員の隙を見計らってトイレへ向かう。トイレ前の店員もこの数十分で3回も得体の知れないアジア人と顔を合わせるとは思っていなかったようで、顔で「おまえ、何回クソすりゃ気が済むんだよ!」と言っていた。
感覚的にもう次はないだろうとタカをくくり、また店を出てセントロ散策を再開していたが、約30分後に事態は動いた。熱心なファンでもですら予測していなかったであろう、アンコールが腹を襲ってきたのだ。
さすがにもうSanbornsのトイレは使えない。いや、厳密に言えば使えなくはないが、4度目となると、別に犯罪を犯しているわけではないが警備員に別室へ連れて行かれかねない。
しかし、さっきも言ったがこの街はぼくにとって庭のようなもの。まだ対策はある。
丁度いいことに、Sanbornsの斜め向かいには、VIPSというこれまた全国チェーンのファミレスがある。なので今度はそこのトイレを使えばいいだけの話だ。

| VIPS こちらも全国展開しているファミレスチェーン。メニューは豊富で味もそれなりに美味しいが、全般的に値段は高め。屋内の席は全店舗オール禁煙らしい。 |
とはいえ、Sanbornsと違ってファミレスとかカフェのトイレを使う場合は、入店したら何かしら注文して最低でも10分は時間をつぶさなければいけないのがデメリットだ。
しかし、これまた旅慣れた人間ならではの知恵を使う。
こんなときは、アメリカンを頼めばいいのだ。
ここのアメリカンは10ペソ(80円くらい。ただし店舗によって違うかも)というリーズナブルなお値段な上に、お代わりが自由。しかも、カップに入っているコーヒーの量が少しでも減っていれば店員が迅速になみなみと注いでくれるというシステムなので、レストラン公認で長居ができるのだ。
早速アメリカンを注文して、“大してしたくはないが、とりあえずトイレに行っておくか”というツラ構えでトイレへ行き、事なきを得る。
トータルでかなりの量を出したせいか、何だか小腹が空いてきた。
軽食がてらメニューも見ずにフライドポテトも注文したのだが、これは旅慣れた人との行動としては明らかに失敗だった。
出てきたポテトの量が “3〜4人で食べればおつまみ”なばかりか、値段も60ペソ(当時のレートで480円くらい)と実に強気な設定だったとは。全てを知ったのは会計を済ませたときだ。さっきまでの危機が安堵に変わったことの油断だろう。
さすがにヤツもアンコールには応えないと思うが、今夜はホテルでおとなしくしておこう。
それと、メキシコの下痢に正露丸は無力らしいので、近所の薬局で下痢止めと、水分補給のためにスポーツドリンクでも買っておこう。
tag : メキシコ テポストラン VIPS Sanborns Tepostlan ティニエブラス Tinieblas ヒウテペック JIUTEPEC クエルナバカ
テオティワカンへ行ってみた。
まだ安心は出来ないが、かといって何も食べないのもアレなので、朝食はSOPA DE POLLO(ソパ・デ・ポヨ=コンソメベースのチキンスープ)とコーヒーにしておく。

| SOPA DE POLLO(ソパ・デ・ポヨ) コンソメベースのスープ。メインの具は鶏肉で、ついでに米も入ってるパターンが多い。お好みで、刻んだチリ、パクチー、玉ねぎのみじん切り、ライム汁などを入れたりする。 |
さて今日は、世界遺産に登録されているメキシコシティ郊外にあるピラミッド・TEOTIUACAN(=テオティワカン)へ向かう。
メキシコには全国各地に古代マヤ文明やアステカ文明に関する遺跡が散らばっていて、他にはカンクンのチチェン・イッツァ(Chichén Itzá)とか、オアハカのモンテアルバン(Monte Albán)なんかも観光客にはかなり人気なのだが、日本全国にあるお城の中でも姫路城が別格のように、テオティワカンはそれらをも凌駕する国内最大の遺跡だ。しかも、明日以降はメキシコシティ近郊を当分離れるので、ここへ行くタイミングは今日しかない。
さて、クエルナバカからテオティワカンへの行き方だが、前に行った時は以下のルートを使用した。
Phase1. 長距離バスで、Tasqueña(=タスケーニャ)というメキシコシティの南に位置するバスターミナルまで行く。
↓
Phase2. そこから地下鉄なりタクシーなり路線バスに乗り換えて、メキシコシティの北にあるバスターミナルまで行く。
↓
Phase3. そこからテオティワカン経由・どこか行きの長距離バスで行く
当時の記憶では、何だかんだで片道3時間はかかった記憶がある。
しかし、ぼくが知らない間にバス事情もかなり変わったようだ。
何と、一昨日タスコへ行くときに利用したバス会社では、クエルナバカから北ターミナルまでの直行バスが運行していることがわかった。
これを使えば、少なくとも「Phase2」の工程が省ける上に、中間マージン(余計な移動費)もかからないし、運行ペースもほぼ1時間というでははないか。そんな素晴らしすぎる手段があるのなら、利用しない手はないか。
そして移動中のこと。
日常のなんてことない行動として、シートと臀部の間に手を挟み、何気なくそのまま鼻を触ったらほのかに手が臭い。
昨日の腹痛で出すものは全て安全に出したつもりだったが、どうやら一部の反乱分子がGパンと下着に残っていたようだ。
とりあえず応急処置として、患部に携帯型トイレ用消臭スプレーをかけて事なきを得たことにしたが、長ズボンはこれしか持ってきていないので、いずれ洗濯物がたまったときにどこかのランドリーで洗うまではこの方法でごまかそう。それにしても、危うくその手でサンドイッチを食べるところだったぞ。
そんなこんなでバスを乗り継ぎ、正午過ぎにテオティワカンに到着した。
大変申し訳ないが、テオティワカンの歴史や背景を詳しく知りたい方は、とりあえずこことここをクリックしていただいた方が確実である。
この場では写真をいくつか。

入口近くにそびえる建造物。早速土産売りのおっさんがお待ちかねだ。

遠くに見える月のピラミッド。高さ47 m、底辺140 m×150 らしいのだが、とてつもなく大きく見える。

雪山登山レベルの疲労と集中力を頼りに何とか登頂成功。見渡す限り平原。

神聖な場所でディープキスに耽るカップル。何か罰のひとつでも与えたくなった。

お次は太陽のピラミッドの頂上を目指す。高さ65 m、底辺222 m×225 mらしいので、さっきより険しい道が予想される。

太陽のピラミッドの中腹から撮影。体感疲労度はサッカー1試合分に相当するが、まだ中腹。

サッカー3試合分体験疲労度を感じつつ、ようやく頂上へ。気分は正に“I AM KING OF THE WORLD”である。

同じく記念撮影に興じるカップル。女性がバスガイドさんみたく右手を広げているのは、遠近法を利用して月のピラミッドが手に乗っ
かっている様を狙っていると思われる。

喜びと安堵感も束の間、この急坂を降りないことには帰れない。むしろ登りの時より危険。
その後も、敷地内の博物館に行ったり細かい遺跡を見たり、日本人観光客から教わったものの間違って覚えたらしい民芸品売りおじさんの、「コレ、ヤスクナイヨ。タカイヨ」という売り文句に、「高いんならいらねえよ」と思ったりしていたら、空もどんよりしてきたし、非常に疲れたし、もう一通り見終わったのでクエルナバカに帰ることにした。
帰りのバス乗り場を係員に聞いたら「出口の近くで待ってればそのうち北ターミナル行きのバスが来る」と言うのでそのあたりで待っていた。
すると、どこからともなく数人の子どもたちがわらわらと寄ってきた。
てっきり知らない間にぼくがメキシコのチビッ子向けのアニメキャラに抜擢されて大人気なのかと思ったが、残念ながらすぐ近くの食堂街の売り子である。メニューを片手に、我先に自分の店をアピールしてくる。
「お腹空いてない? ウチで食べて行きなよ。安くて美味しいよ」
「ほら、このメニュー見てよ。ウチは魚介類が自慢なんだ」
「今ならすぐに案内できるから食べてお行きよ」
そんな営業トークに耳を傾けつつも、大して腹は減ってないし普通にうっとうしかったので、つっけんどんに「No」と首を横に振ったら、意外にも彼らはあっさりとあきらめ、他の観光客へ標的をチェンジした。
しかし、その中の一人はなぜか立ち去らず、ぼくに話しかけてきた。
「もう帰るの? これからどこへ行くの?」
「北のバスターミナルだよ」
「だったら道のこっち側じゃなくて、向う側で待たないと反対方向に行っちゃうよ」
「……あ、ああ、そうなんだ。親切にありがとう」
何だ、思ったよりいい子だな。
すると食堂エリアから、さっきの営業に乗り遅れたであろう別の食堂のチビッ子がメニュー片手にぼくに近づいてきた。
「そこのお兄さん、なんか食べていかない?」
「いや、もう帰るから…」
と断ろうしたそのときだ。
さっきの子が、
「ダメだよ、カルロス(仮名)! この人はもう帰るからいらないんだってさ」
と、わざわざ忠告してくれるではないか。
君は何ていい子なんだ!
ごめんよ、さっきはあんなつっけんどんな態度をとってしまって。
何だったら考えを変更して君の食堂で食べてやらないこともないが、そこまで「この人はもう帰るんだ!」と思っている以上は、もう食べるわけにはいかないのが非常に残念だ。
そうこうしていたら人もまばらになったようで、他の子どもたちもなぜかぼくに群がってきた。その中の一人曰く、「バスは20分後くらいに来るかも」とのことなので、さっきのお詫びもこめてバスが来るまで彼らとしばしご歓談することに。
適当に日本のこととか将来なりたい仕事とかを話していたのだが、その中の一人は首にチョーカーを付けていることに気づいた。そしてそれをよく見てみると、色々な飾りに紛れて日本の五円玉が連なっているのを発見した。聞いてみたら、やはり日本の観光客から以前にお土産として貰ったものらしい。
ここは日本の豆知識として、
「5円玉は“ご縁”といってな、素敵な人と巡り合えるおまじないもあるんだぞ。もしかしたら将来のお嫁さんとここで出会うかもしれないね」
と、得意げに言ってみようかと思ったが、どうせあげた人が同じトーンで同じことを言ったに決まっているのでやめた。
その後もそれなりに雑談していたら、バスの正しい乗り場を教えてくれたさっきのチビッ子が、相も変わらずメニュー片手に営業している別のチビッ子を指差してニヤニヤしている。
「ねえねえ、知ってる? あいつホモなんだよ!」
知るか!
というか、話が唐突過ぎるぞ!
そんなこんなでバスが来たのでお別れだ。正直彼らにあげるものも何かをあげる義理もないが、今度来たら絶対ここで食べてあげるからな。まあ、次があるかわからないけど。
帰りはメキシコシティ名物の大渋滞に巻き込まれため、約1時間オーバーでクエルナバカへ到着。着いた頃にすっかり太陽は落ちていた。
さて今夜は、一昨日チャットしたルシアと会うことになっている。
彼女ともマヌエルと同じ時期に知り合った親日家ネイティブの一人で、特に共通の趣味がないにも関わらず何だかんだで今も仲が続いている。そして、彼女もそうだが彼女の家族とも顔見知りなので、今回は彼女の家に行くことになった。
家に着くと、彼女の父と兄も迎えてくれた。
この二人はオートバイの修理工をしているのだが、数年前に父が大病を患いけっこうな期間を病院で過ごした頃、空き巣に仕事用具を一切合財盗まれるというダブルパンチを喰らって途方に暮れたという話を彼女から聞いていたのだが、今でも通院は必要ではあるもの病状は回復し、仕事も何とか再開していると聞いてほっとした。互いの近況や初めて会ったときの思い出話、メキシコの現状や日本の近況、クエルナバカの変貌など、相変わらずざっくばらんな世間話に花を咲かせていた。
そんな語らいの途中、兄が突然席を外したと思ったら、別室から何やら大きいものを持ってきた。
よく見ると、それは木彫りのマリア像だった。この家は敬虔なカトリックなので、家にこういったアイテムがあっても何ら不思議はない。しかも、これは土産屋とかで買った既製品ではなく、兄のハンドメイド作品のようだ。
「へー、お兄さんも器用ですね」
と、しげしげと見ていたら、
「これは君にあげるよ。プレゼントだ」
と、ぼくに手渡した。
確かにこの好意はありがたい。
わざわざぼくのために創ったわけではないだろうが、遠くから来たぼくに友好の証としてくれるわけだから、悪い気はしない。
が、失礼を承知で言わせていただくと、
いらねーーーーーー!
勘違いしてほしくないのだが、別に作品として持って帰るに値しないわけでもないし、宗教観を否定するわけでもない。ましてや兄が嫌いなわけではない。
問題なのはただ一つ、このマリア像の体積だ。

お兄さん、ぼく、まだ旅の序盤ですよ!
今回は荷物をかなり小さくまとめたので、これキャリーバッグに入れるとすれば大半の衣類を犠牲にしなくてはならないし、手持ち用のデイバッグもLサイズではあるが、中にはガイドブックとかカメラといったがさ張りがちなモノが入っているので、入れるにはかなりの一苦労だ。とはいえ、受け取らないわけにはいかないので、
兄は、「せっかく創ったんだから壊さないでくれよ」と忠告したので丁重にバッグに入れたつもりだったが、ホテルで出してみたら早速てっぺんの飾りが取れていた。
さて、今までに色々あったが今夜を持ってクエルナバカとはしばしのお別れである。
明日からは別エリアへ向かう。
tag : テオティワカン Cuernavaca クエルナバカ Teotiuacan チチェン・イッツァ メキシコシティ メキシコ オアハカ モンテアルバン ピラミッド
モンテレイへ
| Monterrey(=モンテレイ) メキシコシティから北へ700kmほどにある都市で、ヌエボ・レオン州という州の州都。大手外資系企業の支社や工場が多く立ち並ぶ経済都市で、国内ではメキシコシティ次ぐ第二の都市にりつつある。地理的にアメリカのテキサス州と隣接していることもあってか、全般的に近代的な建物が多かったり、広い通りが規則正しく整備されていたり、メキシコシティ近辺にはなじみのない外資のチェーン店やショップが軒を連ねているので、むしろ町並みはアメリカを思わせる。 人口:約113万人/標高:538m/面積:860km2 |
今日の目的地は、MONTERREY(=モンテレイ)というメキシコ北部の街だ。
アメリカはテキサス州(ヒューストン寄り)に隣接するNuevo Leon州(=ヌエボ・レオン)というところの州都で、国内ではメキシコシティに次ぐ大都市・グアダラハラ(中西部にあるハリスコ州というところの州都)と第二の規模を争っている大都市だ。
ここは地理的にアメリカに近いせいか、外資を含めてけっこうな数の企業の支社や工場が立ち並ぶ経済都市という側面が強いので、正直なところ全国区で有名な観光スポットはない。探せば見どころはそれなりにあるらしいのだが、あの『地球の歩き方』にもカラーページですら紹介されず、後ろのページに申し訳程度にしか情報が掲載されないようなところである。
ナニユエわざわざそんなところへ行くかというと、実はここにも知人が住んでいるからだ。
さて、クエルナバカからモンテレイまでの行き方だが、陸路で行こうとすると平気で半日はかかる。何せメキシコの国土は日本の5倍近くある上に場所もアメリカ寄りなので、仕方がない。
そうなると飛行機ということになるのだが、空路なら空港までの移動や手続きを含めても5時間程度で着く。もちろん飛行機だと交通費がそれなりにかかるのでちょっと迷ったが、今回は飛行機で行くことにした。
ということで旅行代理店に相談してみたのだが、なかなか良い感じの時間帯のチケットをゲットできず、結局メキシコシティ国際空港を朝9時に出発する便しか取れなかった。
しかも、国内線でも搭乗手続きは2時間前までにしなければならないようなので、7時までには空港に着いていなければならない。
そしてクエルナバカから空港までの移動は約2時間と考えると、5時までにはバスターミナルに着いていなければならないので、身支度や荷物整理、ホテルからバスターミナルの距離を考えると、どうしても朝の3:30には起きていないとまずいことになる。というわけで、今夜は寝ていない。
ホテルの部屋で荷物を整理するが、昨日もらったマリア像の扱いに思いのほか苦戦する。

マリア像
キャリーバッグには入らないし、リュックに入れたらかなりがさばるし、かといってせっかくのプレゼントなのでホテルに置いて帰るわけにはいかないので、何とかうまいこと荷物に組み込んで、いざ空港へ向かう。
さすがに丑三つ時ともなると車通りもかなり少ないので、思ったより早く空港に到着した。
とりあえず搭乗手続きを済ませようと航空会社のブースへ行ったら、手続き前に係員による荷物チェックが執り行われる。
けっこうな時間をかけてがっつりと荷物をまさぐられたので、この辱めをどうしてくれるのかという疑問を感じていたら、彼は例の人形を探し当てた。

例の人形
彼は手に取るなり、
「Oh, GOKU」
と言っていたので、どうやらこの人形はNARUTOではなく孫悟空らしい。
というか、これを悟空と認識するような輩に荷物チェックを任せていいのかがかなり不安である。
そして時計の針が11時ちょっと前を差した頃にモンテレイへ到着。
ちなみにメキシコシティ近郊は空気が乾燥している上に標高もけっこう高いこともあって、日中は日差しが強くてもカラッとした陽気で朝晩は上着が必要なくらい肌寒かったが、ここは標高もさほど高くない上に(それでも500m以上はあるが)メキシコ湾が近い(だいたい300kmくらい)ということも関係しているのか、日本の夏のように蒸し暑い。
事前の話では空港まで出迎えてくれるはずだったので、齢75にして初めて東京に来たおじいちゃんみたくきょろきょろしていると、見覚えのある顔を発見。モンテレイ在住の友人であるラロとご対面だ。
彼と出会ったのは数年前のこと。
当時も今回のような放浪旅行を計画していたとき、たまたまモンテレイの写真をネットか何かで見たら、あまりにもメキシコらしくないというか、アメリカの佇まいを髣髴とさせる街並みに惹かれたので、親日家のラテン人が集まるBBSで情報を募ったところ、彼からメールが来たのが始まりだ。
その後現地でご対面し、いろいろなところを案内してくれたり、忙しかったにもかかわらず何かと助けてくれたのだ。帰国以降も交流は続き、現在に至っている。
出会った当時は独身だったが、この数年で彼も生活環境が変わった。2年前にアキさんという日本人女性と結婚し、昨年には悠加(はるか)ちゃんという新しい家族が仲間入りした。言ってみれば、ごく普通の青年から一家の長になり父になったわけだ。このあたりはクエルナバカの友人・マヌエルと共通していると言っていい。
そのくせぼくにはそんな話がまったく来る気配がないのは実に不公平だが、尤も結婚なんてしていたら、いい年をした大人でありながら“仕事が嫌になった”という社会をなめた理由でメキシコくんだりまで現実逃避することはできないのだが。
早速彼らの車に乗り、まずは二人がお気に入りというレストランで食事ということになった。
ぼくは助手席に乗っていたのだが、後方から悠加ちゃんにシャツの首元や耳たぶを引っ張られるというお戯れを受ける。アキさんはその都度謝っていたが、生後一年に満たない乳児ならばむしろこのくらいのことをするのが普通である。
そしてレストランに到着。
席に着くなり、
「奢るから何でも好きなものを頼んでいいよ」
というので、遠慮なく一番高いTボーン・ステーキを頼もうかと思ったが、日本人は奢ってもらうときは奢ってくれる人と同じものを頼む習性があるので、ここは二人が頼んだMiranesa(ミラネサ=カツレツのようなもの)を注文した。これがちまたで言う処世術とやらだろう。
とりあえず腹を膨らませた後は、悠加ちゃん用の乳液を買うためにLIVERPOOLというデパートへ向かった。

LIVERPOOL
これもSanborns同様、全国展開しているデパートチェーン。
このデパートの入るのは初めてだが、とにかく敷地が広い。ここで迷子になったらリアルに大変そうだ。
これは後で感じたことなのだが、基本的にモンテレイは土地が余りまくりで広大な更地がいくらでもあるので、日本のように階数を増やさずともその分面積を広げることはたやすいことなのだろう。
そしてここはデパートだけあって、商品のラインナップも店内のレイアウトも日本と似たりよったりなので、たとえ客が全員メキシコ人でも、何だか伊勢丹とか高島屋にでも来たかのような錯覚に陥る。
本当かどうかは知らないが、ここはグアダラハラとソノラ(北西部にある州)と共に、全国でも有名な美人の産地だと聞いたことがある。
アキさんが買い物をしている間は別行動で店内を徘徊していたのだが、確かに行き交っている女性の多くは顔立ちが整っていて、垢ぬけていて洗練されている人の比率が多いように思う。ついつい目移りしてしまうので、いっそのことここに住みたいくらいだ。
人間観察というか、30過ぎのおっさんがやるとむしろ視姦を続けつつも店内を物色していると、奥まったエリアに旅行代理店を発見した。
翌日はSan Miguel de Allende(=サン・ミゲル・デ・アジェンデ)(以下SMA)という中央部の街へ行くことにしているのだが、そういえばそこまで行くための手配はまだしていない。
ラロに陸路でSMAまでの時間を聞いたら、「多分9時間くらい」としれっと言いやがるので、とりあえずここで色々聞いてみよう。
対応してくれたリアルにゲロマブのお姉さん曰く、SMAには空港がないので隣のQueretaro(=ケレタロ)という街の空港まで行って、そこから陸路で行くしか方法はないという。移動時間は1時間程度で、もしここで手配をするなら18:00の便を用意できるという。そうなると、ケレタロ着は大体19時ということになる。
ガイドブックによるとケレタロからSMAまでバスで2時間くらいらしいが、地方の空港の所在地はどこも辺鄙な郊外だろうから、仮にスムーズに行けたとしても何だかんだでSMA到着は22時以降になるだろう。万が一を考えて、初めて訪れる場所にはなるべく明るいうちに到着しておきたいので、時間帯がネックである。
そして金額は確か2500ペソくらいとのこと。当時のレートで日本円に換算すると20,000円くらいだが、メキシコの物価水準で考えるとはっきり言って高い。
上記を踏まえて陸路で行くケースを考えてみる。
長距離バスなら一等でも、どう考えたって交通費は1,000ペソもしないはずだ。
そしてこの時期のメキシコの日没がだいたい19時半とすると(行った時期はサマータイムを採用していたので)、日が暮れる前に着きたければ翌日の朝10時には出発しなければならないだろう。せっかく飛行機でここまで来ておきながら正味24時間程度の滞在というのも、かなり慌ただしいスケジュールになる。
それに、いくら豪華で快適な一等バスでも睡眠はままならないだろうし、基本はずっと座っているだけなのでストレスもかなりたまるだろう。場合によっては、仕事を真っ当にこなしているはずの運転手を無性に殺めたくなる可能性も否定できない。
悩んだ結果、ぼくは飛行機を選んだ。
せっかくの旅行でお金をケチっても仕方がないという側面もあるが、何よりもここでチケットを買ったら、買ってくれたお礼としてこのお姉さんと仲良くなれるかもしれないという期待が頭をよぎったからに他ならない。
最終的に、お姉さんは自分の携帯番号を書いたメモをGパンのポケットに入れてくれなかったし、チケット購入にあたっての手続き以外の目的でぼくに興味を持とうともしなかったのが非常に残念だが、ともあれ次の予定のめどが立ったので良しとする。
そうこうしていたらアキさんも買い物を済ませたようで、とりあえずは一家の家に戻ることになった。
改めて外の景色を見てみるが、冒頭の方に書いたようにモンテレイというところは実にメキシコらしくない街だ。
基本的にメキシコの街はどこも坂が多かったり道が入り組んでいたり、アスファルトも継ぎはぎだらけで年季の入った小さな建物や家々が所せましに密集しているのだが、モンテレイは基本的に平地で、そびえたつ建物はどれも近代的で面積も広い。道路も太くてきれいだし、どこもまっすぐに整備されている。
おまけに、メキシコシティ近辺には進出していない、あるいはあまり馴染みのない外資のチェーン店も多い。もちろん目に飛び込んでくる看板や通行人や交わされる言葉はメイド・イン・メキシコなのだが、何だかメキシコにいる気がしないのは不思議である。
数十分後に彼らの自宅に到着。中に入ったらいわゆる“まったりタイム”で、ネットやテレビを見ながら取り留めのない話に終始する。
そういえば、出発直前に知人に頼んだ忘れ物はここに届けるように指示したはずだ。聞いてみたら、2日前にきちんと届いていたようで、角2サイズの封筒を渡された。
しかし開けてみると、ホテルの予約表やら飛行機の日程表などは見当たらず、パスポートのコピーだけが入っていたのはぼくのせいだったのだろうか。
その後もダベっていたのだが、今までの疲れや寝不足が一気に来たのか、人の家でネットをしながら惰眠をむさぼるという暴挙を働いてしまう。見かねたラロは別室で休憩をとるように勧められた。
目が覚めた時には日が暮れかけていて、辺りは薄暗くなっていた。
晩御飯を聞かれたが、これに関してはぼくが皆に奢ることになっても既に答えが決まっている。
モンテレイでしか食べられないらしい「カンペチェーナ」という名物料理をどうしても食べたいのだ。

写真の通り、ひき肉とベーコン(?)、チーズが挟まれた特大サイズのタコスで、個人的には人生で食べた料理の中でベスト3に入る代物である。車を飛ばしてもらい、ラロ曰く「モンテレイで一番美味いカンペチェーナ屋」で貪りつつ、モンテレイの夜は更けた。
tag : MONTERREY モンテレイ San_Miguel_de_Allende サン・ミゲル・アジェンデ Queretaro ケレタロ カンペチェーナ
モンテレイ→ケレタロでの焦燥→サン・ミゲル・デ・アジェンデ
モンテレイ二日目の朝。
寝ぐせ・トレパン・無精ひげいうダメな居候の浪人生みたいな出で立ちで居間まで行くと、今日の朝食はお勧めの食堂で食べることになった。
車で連れられること約20分、ラロはごく普通の住宅街に路駐した。促されるままに歩いていると、店の外に行列ができるほどお客でにぎわっている大衆食堂が目に入った。
そこは国民食であるタコスもさることながら、バリエーションが豊富なミックスジュースがかなり人気のようで、新鮮なフルーツや野菜をこれでもかとジューサーにつぎ込み、スタバでいうグランデサイズの容器にそれを注ぐ光景はかなり贅沢である。同じくここの人気メニューらしいバーベキュータコス(トルティージャと呼ばれるタコスの皮にペースト状のひき肉を包んだもの)に舌鼓を打ちつつ、バナナ&オレンジの新鮮ミックスジュースで喉を潤すというのもなかなか贅沢な食事である。
食後は、とりあえずモンテレイのセントロ(ダウンタウン)で下してもらう。どうも今は一家そろって体調不良らしく病院に行かねばならないというので、診療が終わるまで別行動をとることになった。
とりあえずセントロ全般を徘徊してみる。近所の州庁舎を見たり、露店のおもちゃ屋でレスラー人形を買ったりしていたのだが、本当にここはメキシコという感じがしない。特にセントロ周辺は顕著で、何だかアメリカの中規模都市にいるかのような錯覚に陥ってしまう。




と、このように。
こんな感じでウロウロしていたら待ち合わせ時間が来たのでとりあえず皆で家へ戻ることに。
戻ったら戻ったでまたまったりタイムだ。
アメリカの連続ドラマを見ながら取り留めのない話をしたりネットチェックしたり、悠加ちゃんと遊んだりして時間を過ごす。その後ろでアキさんは黙々と家事をこなしている。やはり主婦に休息はないのだろうか。
昼食にはアキさんお手製の料理を振舞ってもらい、その後も家でとりとめもなく過ごしていたら出発の時間が近づいてきた。
早速荷造りをするも、相変わらずあのマリア像の扱いに困る。

クリックで大きくなります。
というわけで、ものの試しでラロに相談してみたところ、
「ママが熱心なカトリックだから、きっと喜んでこれを受け取ると思うよ」
ということになったので、満場一致でこの家に置いておくことにした。
ルシアのお兄さんには申し訳ないが(詳細はここをクリック!)、特にこの手のモノは価値を理解できる人に渡した方が、マリア様も喜ぶに決まっている。そして熱心なカトリックでいてありがとう、ラロのお母さん!
身支度をすっかり整えたところでアキさん及び悠加ちゃんとお別れの挨拶をする。その後、ラロに車で空港まで送ってもらうことになった。
空港までの道すがら、デジカメを家に置き忘れたことに気づいたので慌てて戻ってもらう。ついさっき別れの挨拶をしたばかりなのに、ものの数分で再会するのも照れくさいので、照れ隠しに、
「いやー、思いのほか早い再会でしたね」
と抱腹絶倒の爆笑ギャグをカマしてやろうかと思ったら、デジカメを渡してもらうなりアキさんにまったく同じセリフで先手を打たれてしまったのはご愛嬌である。
空港まで送ってもらったに後別れのハグをしつつ、遠ざかるラロの車を見送った。
これをもって当分は顔見知りと会うことはない。恐らく入国以来初めての本格的な単独行動である。気を引き締めて行動しなくては。
↑時間の流れを表す線
予定通り、モンテレイから約1時間かけてケレタロという街の空港に到着。ここは国内線オンリーのローカル空港だけあって、外観も坪数もかなりこじんまりとしている。着いた頃にはもう日は暮れていた。しかも予想通り、かなり辺鄙な郊外にあるので周囲には何もない。辺り一面を覆う暗闇の中で点々と灯るタクシーのヘッドライトと小さな街灯の光は、十二分に心細さを助長させる。
まずはここからタクシーでケレタロのバスターミナルまで向かう。仕方のないこととはいえ、この状況で見知らぬタクシーの運転手と二人きりというのも実に不安だ。
10分ほど走ってからようやく幹線道路に入った頃、さっきまで一言も話さなかった運転手が、「ケレタロからどこへ行くんだ?」と話しかけてきた。
「サン・ミゲル・デ・アジェンデ(以下SMA)までさ」
と答えると、
「SMAなら大して遠くないからこのまままで連れてってやろうか?」
と提案してきた。
しかし、どう考えてもさっき払った額で連れてってくれるはずはないし、これから約2時間もの間、この車内という密室で初対面の運転手と時間を共にするというのもかなりアレなので、やんわり断りつつ当面の予定通りバスターミナルまで送ってもらうことにした。
そして何とかケレタロのバスターミナルに到着。
ここは初めての場所だし、事前情報でもさほど大きくない街という認識を持っていたが、ターミナルはかなり広く、休日の海ほたると見まがうほど利用客であふれている。
運転手はSMA行きのバスを運行しているバス会社のブース近くで下ろしてくれた。
「SMAならすぐそこの受付で手配してくれるぞ」
と言うのですぐ近くのブースで相談したが、
「SMAはここじゃなくてあっち!」
というたらい回しを3回ほど受けつつ、何とかチケットをゲットした。
しかしここで問題が発生した。
とりあえずSMA行きのバスチケットはゲットできたものの、どうやらバスの等級は二等ということだ。
はっきり言って二等バスの長所は安いというだけで、それ以上のモノは求められない。年式はどれも数十年落ちのポンコツなので快適さは期待できないし、ドリンクや軽食のサービスもあるわけではない。
まあそういうは仕方ないとしても、最大の問題点は安全面がかなり不安であるということだ。
というのも二等バスは一等バスのように目的地までノンストップで運行するのではなく、客の都合に合わせて途中の乗り降りが可能なのだ。ということは、客を装った悪い人にバスジャックされる危険性を考慮しなければならないということだ。
それに、トランクに大きい荷物を入れるにしても、一等バスみたく乗客ごとに引換券みたいなものを発行するわけではないので、場合によっては途中で降りた客が他人の荷物を指して「これも俺のだ」と言って持って行かれる可能性もなくもない。
そして、何と言っても今は夜。不安要素はてんこ盛りだ。
そんな中、ガイドブックに書かれがちな、読者投稿による『旅の体験談』的コラムを思い出す。
交通費をケチって二等バスで移動したら、途中から乗ってきた強盗に荷物を盗まれました。命が助かっただけでも幸運です(新潟県・S.N)
夜の移動で二等バスを利用するのは大変危険です。お金で安全を買う意味でも一等バスを利用するにこしたことはありません。(東京都・PN.アステカ王子)
長距離バスにて移動される場合、夜間の移動は極力避けるようお勧めします。やむを得ずバスを利用する場合は、より安全な一等バスを利用するよう心掛けてください。(外務省海外安全ホームページ・「危険情報」より)
図らずもこんなあるあるネタを体験できるぴったりの条件で移動を余儀なくされたが、二等のチケットしか手に入らなかったので仕方がない。こうなったら運を天に任せるだけだ。
とりあえず所定のバス乗り場でSMA行きのバスを待つが、待てど暮らせど一向にバスが来る気配がない。他の場所へ行くバスは頻繁に行き来しているのに、なぜか行き先表示に「SMA」と書いてあるバスは来ない。
おまけにこの時期は雨季ということもあってか、さっきからしとしとと降っていた雨は猛烈な豪雨となってケレタロを襲いかかっている。けたたましく響く雨の音は不安を助長するにはふさわしすぎるばかりか、それに伴って気温もずいぶんと下がってきた。
こちとら半袖に半ズボン、おまけにサンダルという軽装でしかない上、防寒具は薄手のジャンパーと予備の靴下しかない。売店のホットコーヒーで暖をとるも、店員が勝手に冷えたミルクをドバドバ入れるものだからぬるくてあまり防寒にならない。こうなるとわかっていたらあの時タクシーの運転手の提案に乗っておくべきだったと後悔するも、時既に遅し。
けっこう精神が落ちてきたこともあり、本当に来るのかも確実ではなさそうなSMA行きのバスをひたすら待つことが、今ぼくが出来る唯一の手段だ。
結局、ここに着いてから約1時間半後にようやくSMA行きのバスが到着。既に時間は夜10時を回っている。
しかし、バスが来たことだけで安心するわけにはいかない。さっきのあるあるネタのこともあるし、SMAに着いたらまたそこからホテルまでタクシーを使わなければならないことを考えると、まだ予断は許さない。旅は目的地のねぐらに着くまでが旅なのだ。
……最終的にはぼくの不安は杞憂に終わり、日付が変わりかけた頃にバスは無事にSMAへ到着した。ここは小さな町なので、さすがにこの時間ともなるとターミナルには殆ど人がいない。
とりあえずタクシーで、事前に調べておいたユースホステルへ向かう。雨は相変わらず強さを維持したまま降り続いている。
到着後、早速フロントでチェックインしようとしたら、向こうから帰って来た答えは正に死の宣告だった。
「悪いな。今夜は満員だ」
……最後の最後でこんなオチかよ!
リアルに途方に暮れていたら、事態は意外な方向に向かった。
なんと、タクシーの運転手が「泣くのはおよし、そこのハポネス」とぼくの肩に手を置くとすぐさまぼくを再びタクシーに乗せ、すぐ近くにある別のユースホステルまで連れてってくれた。
「ここなら空いてるかもしれないぞ」
……彼の好意はありがたいが、こういう状況で宿を紹介されると、どうせここはタクシーとグルになってて、こっちの弱みに付け込んでべらぼうな宿泊料を要求されてもおかしくないと邪推してしまったのだが、フロントに諸々を聞いてみたら料金も適正どころかけっこう格安な上、部屋もかなり清潔で広いし布団も暖かそうだ。現時点ではもともと選択肢がないという側面もあるが、とりあえず今夜はここに泊るとしよう。
荷物を部屋に置いてから一泊分の金額を払うためにフロントへ行くと、さっきのタクシードライバーがソファーに座っていた。
何でも、仮にここもダメだったら別の宿を探してくれるつもりだったようで、ここに泊る旨を伝えると、
「ホテルが見つかって良かったな。じゃあ、Buenas noches(おやすみ), Amigo!!」
と言ってホステルから出て行った。
……アンタ、最高だよ!
紆余曲折はあったが、何とか無事に目的地に到着したことで結果オーライとしよう。
tag : メキシコ モンテレイ Monterrey ケレタロ Queretaro サン・ミゲル・デ・アジェンデ ユースホステル SMA
サン・ミゲル・デ・アジェンデへ来た理由とユースホステルのひとびと
| San Miguel de Allende(=サン・ミゲル・デ・アジェンデ) メキシコシティから北北西へ250kmほどにある小さな町。1542年に修道士のSan Miguelによって建設。 20世紀になって独立戦争の英雄・Allendeが産まれた街ということで現在の名前に変わる。 コロニアル調の街並みは渋めの色合いが素晴らしく、石畳の地面や曲がりくねった道など、実に情緒深い。 同時に“芸術の街”としても知られ、Allende美術学校には世界中から芸術家の卵が集まる。 国定コロニアル記念都市の一つなので、街並みを壊さないために改築や新築には国の認可が必要とのこと。 |
♪テーレッテッテッテッテーレーン!(ドラクエの宿屋風に)
昨夜は夜中に着いたばかりか、当初の予定とは異なるユースホステルを利用することになったため、現在位置がわからない。
早速フロントに、
「このホステルのカードってあるかな?」
と聞いてみたところ、
「ここのカードというのは特にないが、これならあるぞ!」
と渡してくれたのは、八つ折りにしてもシステム手帳ほどの大きさにしかならず、広げたらポスター程度の大きさに早変わる大ざっぱなこの街の地図だった。
当然ながら、そんなものを渡されても現在地はわからないので、
「これだとここがどこだかわからないから、ペンでマーキングしてくれる?」
と頼んだらフロントは、
「う〜〜〜〜〜〜〜〜ん」
と唸りながら大きな地図を横にしたり逆さまにして現在地を探している。
お前もわかってないんかい?
最終的に「この地図じゃよくわからないな」と、あっさり匙を投げてしまったので、何の解決もしないままホステルを出る。
そもそもナニユエここに来たかというと、
“せっかくメキシコに来たんだからメキシコらしいことでもしてみるか?”
と、渡航前に思い立ち、
“だったら、いっちょ、こっちの料理でもやってみっかぁ!”
という結論になり、外人向けのクッキングスクールを探してみたらたまたまここにあるスクールがよさげだったからだ。そして予定では、朝9時に概要を一通り聞いて10時からお昼まで授業ということになっているのだ。
どうやらホステルからスクールまではかなり近く、タクシーで行ったら2分着いた。
ドアを開けてみると、先生らしき年配女性が待っていて、ぼくを見るなり笑顔で握手を交わした。
挨拶もそこそこに、カリキュラムや概要を聞く。
基本的にここは自由な授業のようで、厳密なカリキュラムがあるわけでもなければ特に決まったメニューもないという。要は、ぼくが作ってみたい料理をまず教えてくれれば事前に市場で食材を仕入れ、レシピを作成するので、何なりとお申し付けくださいというわけだ。
しかし初回に関しては、メキシコ料理で絶対に欠かせない基本調味料のSalsa Chile(=サルサ・チレ_チリソース)を作ることから始めるのがここの仕来たりだという。
そして授業料はレクチャーと食材仕入れ料込みで100ドル。高いのか安いのかはよくわからないが、まあ外人向けのスクールの授業料なんてこんなものだろう。根拠はないが。
更に聞いてみると、授業は今日からではなく明日からとのこと。てっきり今日からだと思っていたので拍子抜けだが、こればかりは仕方がない。
兎にも角にも事前確認は終わり、今日のところはスクールを後にする。9:30に本日全ての予定を消化してしまったのは予想外だが、とりあえず翌日以降のことも考えて、帰りは徒歩でセントロまで向かってみよう。
結局20分程度でセントロに到着。この街は山間にあるので坂も適度に多い上、距離的にも良い運動にもなりそうなので、明日からは徒歩で行くことにしよう。
適当に朝食を摂り、その後はセントロを散策したり、民芸品屋で土産をゲットしたり、Zocalo(=ソカロ・街の中央広場)で人間観察という名の視姦をしてみるが、所詮は田舎町なのですることは限られる。まだ眠いっちゃあ眠いので一度ホステルに戻るとしよう。
そういえばここのホステルのロビーには備え付けのデスクトップPCが1台あって、木村カエラばりに無料でネットもメールもし放題だとフロントの人が言っていた。先日組んだファンタジーサッカーの結果が気になったので使おうと思ったのだが、あいにく別の欧米人の女性客が占拠している。
年のころは恐らくぼくとほぼ同年代で、顔立ちはどことなく、青森の公務員から14億円を搾取したどこぞのチリ人、あるいは『Drow the Line』発売時のスティーブン・タイラーを思わせる。そしてアジアンテイストのバンダナとエスニック調ワンピースで身を包んでいるので、かなりロック色というかヒッピー色が強そうな女性だ。
青森の公務員から14億円を搾取したチリ人。この事件は母国チリでも大々的に報道されて有名人になった
らしく、帰国後はEMIから『Anita, la Geisha chilena<アニータ、チリの芸者>』とかいうナメたタイトルの
曲で歌手デビューをしたり、バラエティー番組のドッキリに引っかかってブチぎれてたりしてるらしい。
エアロスミス5枚目のアルバム『DRAW THE LINE』(1977年)。アルバムタイトル曲はライブ演奏の定番。
ジョー・ペリーのスライドギターがギュンギュン唸る名曲。
仕方がないので部屋でしばらく桃鉄(GBA版)に励んでからまた様子を見るが、相変わらず彼女は自宅警備員の如くPCに首ったけだ。だったら中庭のテーブルで一服でもしようかと思ったら、意外にも彼女から英語で声をかけられる。
てっきり「あら、あなたもPC使うの? ごめんなさいね、もう少しで終わるから」とでも言うのかと思いきや、
「あら、もしかしてあなたジャパニーズでしょ? だったらルック・ディス・ムービー! ベリー・インタレスティングよ!」
と、若干興奮気味にPCの前に立たされる。
見てみるとそれはyoutubeにアップされた動画で、日本人のダンスグループが映っていた。
床は電子鍵盤になっていて、踏むとその音が鳴る仕組みになっているようだ。彼らはダンス・ダンス・レボリューションみたく小刻みに各鍵盤を踏むことで、クラシックの有名な曲を演奏するというパフォーマンスだった。
確かに凄いっちゃあ凄いが、正直「だから何だ?」である。とはいえ無反応も申し訳ないので、とりあえず「WAO!」と反応してみた。
すると間髪入れずに彼女はぼくを近くのキッチンへ促した。因みにユースホステルと名乗っている宿泊施設には、大抵キッチンがあるものだ。
「私、ヌードルを作ったんだけど、作りすぎちゃったから食べて! ジャパニーズはヌードル好きでしょ?」
と、白い麺とプチトマトが目いっぱい入ったボールを指差した。
別にそれはそれでありがたいのだが、何故ハナから5人分はあろうボリュームのヌードルを作ったのだろうか。
とりあえず「Thank You」とお礼をすると、彼女はぼくのポケットから覗くタバコをロックオンするや否や、
「あら、あなたシガレット持ってるの? だったらプリーズ、ギブ・ミー・ワン・シガレット!」
と、もらいタバコを強要してきた。
……だからさっきから何なんだ、アンタは!
まあ何はともあれ、何かしらコミュニケーションを取らないことには事態が収まりそうになかったので、連れモクがてら中庭に移動した。
聞いてみると、彼女はミシガンからやってきたアメリカ人で、かつてNYでポップアートを学んていたという。
また、基本的にメキシコに来た理由は着の身着のままな旅の一環で、SMAにはアートの勉強のために来たとのこと。ここにある大きなアートスクールに近々入学する気らしい。
なるほど。やはり旅の目的は人それぞれなものだ。しかし、事前に「ぼくは英語はあまり得意じゃない」と念を押したにもかかわらず会話の80%を英語で通すのだけはやめていただきたい。
その後も他の話題でコミュニケーションを図るも、ぼくは英語はよくわからないし彼女はスペイン語があまり得意ではないようなので、思うように会話が進まない。
そうこうしていたら沈黙の割合が増えてしまい、それを悟ったのか彼女は、
「じゃあ、もう部屋に戻るから。PC使いたかったら使っていいわよ」
と、あっさり中庭を後にした。さすがはドライなアメリカ人だ。
……つーか、そもそもPCはアンタの所有物じゃねーだろ!
因みにおすそわけてもらったヌードルは晩飯に利用させてもらったが、普通に塩ゆでしただけなので不味くもなければ美味くもない、見たままの味だった。
※この日は他に書くような出来事はなかったので、SMAの写真を。



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